はぁ…
掛け流しのお湯は、乳白色をしていてとても心地がいい。
だけど、出るのは溜め息だけ。
ここはこの辺りでは有名な温泉宿。
それなのに。
はぁ…
何をそんなに思い悩んでいるのかというと、もちろんその原因は薬売りさん。
同じ部屋に寝泊りするようになってから、薬売りさんの妖艶さにやられてしまいました。
だって…
私が奉公先から帰ってきてから、寝る直前まで同じ部屋にいるんですよ?
違うな、寝るときですら同じ部屋なんだ。
あの薬売りさんという人は、商売が終って部屋に戻ると、薬の調合や在庫と帳簿の確認、それから行李の整理をするんです。
その一切が、流れるように静かで、見惚れてしまうくらい綺麗な姿なんです。
でも、やっぱり私という人間は、人と一緒に居ると喋りたくなってしまって話しかけるんですけど(もちろん帳簿をつけてるときは話しかけたりしません)、何か、邪魔なんじゃないかと思ってしまうんです。
いいえ、多分邪魔です。
薬売りさんもきっと、一部屋にしたことを後悔してるはずです。
本当は静かに一人の時間を過ごしたいと思ってます。
それだけじゃなくて、薬売りさんの着流し姿というものは、なんというか…
ねぇ、分かりますよね?
何か、色っぽいんです。
細いのに筋肉質で、着流し姿も様になってるんです。
少し開いた襟元からは、いつも着けてる赤い首飾りが覗いて、それが白い肌に映えてたりして。
完敗ですよね。
薬売りさんに比べたら、私なんて子ども同然。
貴方は売れっ子花魁(陰間?)ですか、って聞きたくなるくらいです。
もう、本当に、初めて見たときは目のやり場に困りました。
それで窓際で片膝立てて、お酒なんか飲んでると、絵になりすぎて絵師でも呼んでこようかと思うくらいです。
それくらい綺麗で、色っぽくて、艶っぽいんです。
一緒の部屋にいたくない感じです。
だから、今日は温泉にかこつけて長湯して、部屋に戻っても疲れたことにしてすぐ寝ようと思うんですが、どうでしょうか?
…さっきから誰に話してるんだろう。
バサッと勢い良く顔にお湯を掛ける。
「ご一緒してもよろしいですか?」
声のした方を見ると、私よりいくつか年上に見える女の人。真っ白な肌と切れ長の目がとても印象的で綺麗な人だ。
「え、あ…はい…?」
「私もここに泊まっているんです。貴女、あの薬の行商の方のお連れでしょう?」
どうして知っているの。
「まぁ、一応」
「一緒に部屋に入っていくところをお見かけしました。私の部屋は近くなんですよ」
「あぁ、それで」
「とても綺麗な方ですね」
嫌だな。
正直にそう思う。
「あんな方と夫婦になれるなんて、ね? うらやましい」
ぶっ。何か勘違いを…。
私が相手でもそう見えるものですか?
「夫婦なんて、そんな。違います」
そんな小芝居をしたことはあるけど。
「まぁ、ごめんなさい。てっきり…」
大袈裟に驚いていただいてありがとうございます。
「兄のような人です、薬売りさんは」
夫婦や恋人じゃないのに同室に寝ることの説明には、多分これが一番だと思うのだけど。
「そうなの?」
いきなり口調が変わったのは気のせいだろうか。
私を蔑んだ目で見て、声色は喜々としている。
この人、薬売りさんを気に入ってる。
「ここのお湯、とても気持ちいいわね」
「はい」
「貴女、もう少し入っていたらどうかしら」
「はい?」
「入っていたほうがいいわ。ここのお湯、肌にいいらしいの!」
「―ッ!!!」
嫌な人だと思った直感は、外れてなかったみたいだ。
その人は、手桶にお湯を汲んで、それを思い切り私に浴びせて出て行った。
「ケホッ、ケホッ」
顔の穴という穴にお湯が入って顔じゅうが痛い。
咳も涙も止まらない。耳は気持ち悪い。鼻から喉に掛けて、最悪に痛い。
「何なのよ…」
頭にくる。
気に入った男が女連れだったからって、その連れにこんなことするって、どういう了見なの。
挙句、“取り得がないなら肌を綺麗にしろ”って…。
“その間、お相手は私に任せて”って…。
気が付いたら私は、お湯から上がっていた。
脱衣所に入って身体を拭いて単衣を羽織る。
こういう急いでいるとき、帯は本当に厄介だ。それに濡れて重くなった髪も。
髪を拭きながらも、私の頭は働き続ける。
確かに薬売りさんは綺麗で優しい人で、皆意味ありげな目で薬売りさんを見て行く。
私には“この世ならざるもの”の声を聞くくらいしか取り得はない。
私の取り得なんて、傍から見たらないのと同じだから大した意味はない。
でも、そんな私を旅に誘ってくれたのは、他でもない薬売りさんなんです。
薬売りさんが、私を誘ってくれたんです。
私を…必要としてくれたんです。
そう、薬売りさんが…言ってくれたから…
“一緒に旅を、しませんか”
“はぐれなにように、してください”
“俺が、守りますよ”
“いつでも守れる距離に、居てもらいたいんですよ”
何だか急に、さっきまでのモヤモヤした気持ちも、怒りのようなものもなくなってしまっていた。
いいじゃない。
薬売りさんが二人部屋に後悔していようと、綺麗だろうと、あの人とどうこうなろうと、私に取り得がなかろうと。
だって全て、薬売りさんがくれた言葉だもの…。
だからきっと、まだ旅は続けられるもの…。
私は、信じていればいい。
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弁解は後でします…
2010/1/23