幕間第十一巻
〜温泉宿・壱〜










 はぁ…







 掛け流しのお湯は、乳白色をしていてとても心地がいい。


 だけど、出るのは溜め息だけ。








 ここはこの辺りでは有名な温泉宿。


 それなのに。












 はぁ…


 何をそんなに思い悩んでいるのかというと、もちろんその原因は薬売りさん。
 同じ部屋に寝泊りするようになってから、薬売りさんの妖艶さにやられてしまいました。


 だって…


 私が奉公先から帰ってきてから、寝る直前まで同じ部屋にいるんですよ?
 違うな、寝るときですら同じ部屋なんだ。


 あの薬売りさんという人は、商売が終って部屋に戻ると、薬の調合や在庫と帳簿の確認、それから行李の整理をするんです。
 その一切が、流れるように静かで、見惚れてしまうくらい綺麗な姿なんです。


 でも、やっぱり私という人間は、人と一緒に居ると喋りたくなってしまって話しかけるんですけど(もちろん帳簿をつけてるときは話しかけたりしません)、何か、邪魔なんじゃないかと思ってしまうんです。
 いいえ、多分邪魔です。
 薬売りさんもきっと、一部屋にしたことを後悔してるはずです。
 本当は静かに一人の時間を過ごしたいと思ってます。


 それだけじゃなくて、薬売りさんの着流し姿というものは、なんというか…


 ねぇ、分かりますよね?
 何か、色っぽいんです。
 細いのに筋肉質で、着流し姿も様になってるんです。
 少し開いた襟元からは、いつも着けてる赤い首飾りが覗いて、それが白い肌に映えてたりして。
 完敗ですよね。
 薬売りさんに比べたら、私なんて子ども同然。
 貴方は売れっ子花魁(陰間?)ですか、って聞きたくなるくらいです。
 もう、本当に、初めて見たときは目のやり場に困りました。
 それで窓際で片膝立てて、お酒なんか飲んでると、絵になりすぎて絵師でも呼んでこようかと思うくらいです。
 それくらい綺麗で、色っぽくて、艶っぽいんです。
 一緒の部屋にいたくない感じです。




 だから、今日は温泉にかこつけて長湯して、部屋に戻っても疲れたことにしてすぐ寝ようと思うんですが、どうでしょうか?





 …さっきから誰に話してるんだろう。





 バサッと勢い良く顔にお湯を掛ける。








「ご一緒してもよろしいですか?」


 声のした方を見ると、私よりいくつか年上に見える女の人。真っ白な肌と切れ長の目がとても印象的で綺麗な人だ。


「え、あ…はい…?」
「私もここに泊まっているんです。貴女、あの薬の行商の方のお連れでしょう?」

 どうして知っているの。

「まぁ、一応」
「一緒に部屋に入っていくところをお見かけしました。私の部屋は近くなんですよ」
「あぁ、それで」
「とても綺麗な方ですね」
 嫌だな。
 正直にそう思う。
「あんな方と夫婦になれるなんて、ね? うらやましい」
 ぶっ。何か勘違いを…。
 私が相手でもそう見えるものですか?
「夫婦なんて、そんな。違います」
 そんな小芝居をしたことはあるけど。
「まぁ、ごめんなさい。てっきり…」
 大袈裟に驚いていただいてありがとうございます。
「兄のような人です、薬売りさんは」
 夫婦や恋人じゃないのに同室に寝ることの説明には、多分これが一番だと思うのだけど。
「そうなの?」
 いきなり口調が変わったのは気のせいだろうか。
 私を蔑んだ目で見て、声色は喜々としている。
 この人、薬売りさんを気に入ってる。


「ここのお湯、とても気持ちいいわね」
「はい」
「貴女、もう少し入っていたらどうかしら」
「はい?」
「入っていたほうがいいわ。ここのお湯、肌にいいらしいの!」
「―ッ!!!」
 嫌な人だと思った直感は、外れてなかったみたいだ。
 その人は、手桶にお湯を汲んで、それを思い切り私に浴びせて出て行った。


「ケホッ、ケホッ」


 顔の穴という穴にお湯が入って顔じゅうが痛い。
 咳も涙も止まらない。耳は気持ち悪い。鼻から喉に掛けて、最悪に痛い。
「何なのよ…」
 頭にくる。
 気に入った男が女連れだったからって、その連れにこんなことするって、どういう了見なの。
 挙句、“取り得がないなら肌を綺麗にしろ”って…。
 “その間、お相手は私に任せて”って…。


  気が付いたら私は、お湯から上がっていた。
  脱衣所に入って身体を拭いて単衣を羽織る。
  こういう急いでいるとき、帯は本当に厄介だ。それに濡れて重くなった髪も。


  髪を拭きながらも、私の頭は働き続ける。
 確かに薬売りさんは綺麗で優しい人で、皆意味ありげな目で薬売りさんを見て行く。
  私には“この世ならざるもの”の声を聞くくらいしか取り得はない。
 私の取り得なんて、傍から見たらないのと同じだから大した意味はない。


  でも、そんな私を旅に誘ってくれたのは、他でもない薬売りさんなんです。
 薬売りさんが、私を誘ってくれたんです。


 私を…必要としてくれたんです。


 そう、薬売りさんが…言ってくれたから…











“一緒に旅を、しませんか”





“はぐれなにように、してください”





“俺が、守りますよ”





“いつでも守れる距離に、居てもらいたいんですよ”











 何だか急に、さっきまでのモヤモヤした気持ちも、怒りのようなものもなくなってしまっていた。
 いいじゃない。
 薬売りさんが二人部屋に後悔していようと、綺麗だろうと、あの人とどうこうなろうと、私に取り得がなかろうと。


 だって全て、薬売りさんがくれた言葉だもの…。
 だからきっと、まだ旅は続けられるもの…。
 私は、信じていればいい。










NEXT










弁解は後でします…

2010/1/23