幕間第十三巻
〜紅・壱〜












 薬売りさんから、紅を貰いました。


 あの、女郎蜘蛛のときに薬売りさんが塗ってくれたものです。


 桜色の珍しい紅です。



















「あ、いたいた。ちゃん!」
 雑巾を絞っていると、声を掛けられた。
 振り返ってみると、ここの一人娘の紅華さんだった。
「紅華さん、どうかしましたか?」
「それが済んだら少し私に付き合って」
「え…でも」
「母様から承諾は貰ってあるわ」
「そうですか? じゃあ、もうすぐ終りますから」


 紅華さんは、お仕事を貰った菓子司の一人娘で、年は私と同じくらい。
 第一印象は、活発で明るい娘さん。
 赤い着物が良く似合っていて、正に“紅華”さん。
 旅の先々で仕事を探して働く私に、驚きと感心の言葉をくれた。





 店の掃除を終えた私は、紅華さんに連れられて店を出た。
 出るときに女将さん、つまり紅華さんのお母さんに“遅くなるんじゃないですよ”と声が掛けられた。
「どちらに向かってるんですか?」
「どこでもいいの。親の目が届かなければ」
「え?」
 紅華さんが立ち止まったのは、大きな橋の真ん中。
 行き交う人を避けて、欄干にたどり着く。

「ねえ、ちゃん。旅をしてるんでしょ?」
 欄干に頬杖をついて、紅華さんは楽しそうにしている。
「はい」
「噂で聞いたんだけど、とても綺麗な男の人と一緒なんですって?」
「えっと…はい」
「どんな関係なの? 恋人?」
 来た来た、この常套句。
 しかも紅華さんみたいの年頃の町娘には、もしかしたら一番の関心事なのかもしれない。
「いえ、そんな」
 そして私もいつもの常套句。
「え〜、違うの? すっごく期待してたのに!」
「何をですか…?」
 恋人じゃないことが残念って言われるのは、初めてかもしれない。
「だって、好きな人と旅をして回れるなんて、幸せなことじゃない?」
 本当にそうなら、凄く素敵なことですが。
「でも、残念ながら私はただの助手です」
「そうなの〜?」
 本当に残念そうな顔をしてる。

「でも、好きだったりしないの?」

 好き…。
 そういう風には、あんまり考えたことはなかったかもしれない。
 だって、薬売りさんだし。
「好きっていうか…」
 何だろう?

「好きでもない男の人と旅って出来るものなの?」

 考え込む私の顔を、紅華さんは覗きこんでくる。
 確かに、それはそうだと思う。
「嫌いじゃないです。助けてもらったわけじゃないですけど、恩人っていうか。尊敬できるっていうか…」
 色々言葉を探したけど、どれも違う気がする。
「何か良くわかんないわね」
 その言葉に苦笑いを返す。
 どう説明したらいいんだろう。
 モノノ怪とか、声とか言っても変に思われるだけだろうし。
「えっと、私の知ってることが薬売りさんの仕事に少しだけ役に立つっていうか。それで連れて歩いてくれてるんです」
「へぇ? それだけなの?」
「え?」

「だって、そんな理由だけで女一人の一生を引き受けるなんて…」


「一生を…引き受ける…?」


 その一言を聞いた瞬間、何も考えられなくなった。


 薬売りさんが、私の一生を?


ちゃん、その人と一緒に旅をする前にも一人で旅をしてたって話だから、あんまり気にならなかったのかもしれないけど…」
 紅華さんの言葉だけが、頭の中にぐるぐると入り込んでくる。
「そういうことじゃない?」


 そういうことなの?


 私の一生を…?


 薬売りさんが…?


「ち、違いますよ…。だって、私たちは…」
 ただモノノ怪を斬るために旅をしてるんだもの。
 徐々に頭が働き始めてくれる。

「じゃあ、もし別な人のところにお嫁に行くことがあったら、何て説明するの?」
 それは、最初に有り得ないって自分に言ったことだから。
 別に薬売りさんに貰ってもらおうなんて、考えたこともないし。
 第一、相手が誰であろうと、自分がお嫁に行くなんて想像できない。

ちゃんにそのつもりがなくても、その薬売りさんって人はどうかわかんないんじゃない?」
「そんなことないですよ。薬売りさん、私に興味ありませんから」
 少し噴出すように笑ってみる。
 薬売りさんが優しいのは、旅に誘った手前無碍に出来ないからであって、別に私を想ってくれてるとか、そんなことは一切ない。
「何で言い切れるのよ〜?」
 剥れた顔をする紅華さんは、今までより少し子どもっぽく見える。
「そうですね…」
 モノノ怪無しで説明すると、どう言えばいいのか。
「危険なことから守ってくれるのは、力のある男の人だからだし、旅に誘った責任だと思ってると思いますよ」
「それは、まぁ、そうよね」
 これで本当に何でもないと分かってくれるといいけど。
「薬売りさんが女の人に言い寄られて大変なときは、夫婦のふりをしたりしますけど、それも条件付ですから」
「本当に綺麗な人なのね…」
 お気の毒に、と言って苦笑する。
「ちょっと信心深い人だから、魔除けの護符をくれたりしますけど、それは道中守りみたいなものだし」
 紅華さんはう〜んと唸ってから黙り込んでしまった。
「あ、紅をくれたのも、魔除けだって言ってました」
 魔除けが好きなんですよ、と言いながら紅華さんの顔を覗きこんでみる。


  あれ…?


 紅華さんは目を丸くして、呆然と私を見つめてくる。
 信じられないというような顔?
 唇が一瞬震えて、さっきまでの声色とは全く違う声が聞こえた。


「紅を、もらったの? その薬売りさんから?」


「…はい…?」


「本当に?」


 紅華さんは両手で私の両腕を掴んで、じっと答えを待っている。
「貰いました。高いものだから受け取れないと言ったんですけど、魔除けだからと」
 ちょっとした押し問答になったのを思い出した。
「確かに紅には魔除けの意味があるらしいけど、でも…」
「でも…?」




「紅は、男の人が意中の女の人へ気持ちを伝えるために贈る物よ」




「え…?」




 声が裏返った。
 そんな話、聞いた事ない。
 ううん、もしかしたらこの辺りだけの習慣とか。

「言っておくけど、これは庶民でも知ってる話よ。まさか、その様子だと、知らなかったの?」

「…はい…」

 だって、化粧の話をできるほど裕福じゃないし、周りもみんなそうだった。
「じゃあ、その薬売りさん、残念がってるかもね…」
「ど、どうしてですか」
 紅華さんは、はぁ、と大仰に溜め息を吐いて、私から手を離した。



「想いが伝わらなかったから」



 想い…?
 だって、これをくれたとき、薬売りさんは魔除けで、あの町まで行ったご褒美だって、冗談交じりに言っただけだもの。
 私に対する想いなんて、絶対にない。
「…ないですよ、そんなこと」
 声が掠れる。
「じゃあ聞くけど、何で男の人が紅を持ってるの? いくら薬売りだからって、紅は扱わないと思うわよ?」
「それは、そうですけど…」
 薬売りさんが自分で使っているのは、これまた珍しい紫の紅。
 自分用になんて絶対に使わない。

 じゃあ、どうして?
 どうして薬売りさんは、紅を持っていたの?
 どうして私に紅をくれたの?
 困惑する私の背中を、紅華さんは軽く叩いた。






「気になったら、本人に聞くのが一番よ」













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この話を入れるタイミングが可笑しい…

2010/2/28