※自然災害の被害に遭ったという設定が出てきます。
読みたくないという方はスクロールせずにお戻りください。

申し訳ありませんが、自己責任でお願い致します。



































































幕間第三十六巻
〜絆・壱〜






 そこは、人気のない村だった。
 田畑は荒れ、生き物の気配すら感じられない。

 旅のものが時折通るためか、畑の合間を縫って辛うじて道は通っている。
 周りは草という草で覆われていた。




「何だか寂しいところですね」

 は辺りを見回してそう呟いた。

「去年、鉄砲水が、あったらしいですよ」
「…それで…」

 薬売りの返事に、は暗い顔をする。

「多くの民家が流されて、皆、ここを出てしまったと」
「じゃあ、ここには誰も?」
「そう、聞きましたが…」

 薬売りの言葉が途切れたことを不思議に思ったは、薬売りの視線を追った。



 人の背丈よりも大分伸びた草の向こうで、何かが動いた。
 ガサガサと音がして、順に草が揺れていく。


「な、何でしょうか、あれ」
 は思わず薬売りの背後に隠れる。
「さぁて」
 薬売りの声は、どちらかというと楽しそうだ。
 からは見えないが、きっと口角を上げているに違いない。


 草の揺れが近付いてくる。
 僅かに腰を落として身構える薬売り。


 やがて草の間から、何かが姿を現した。






「まぁ…!」




 草叢から出てきたのは、女だった。
 三十路を超えるか超えないか、そのくらいに見える。
 驚いた顔は少々やつれていて、着ている着物も摩れて汚れていた。
 手には大きな籠を持っていて、その中には何やら緑の葉が入っている。

「こんな所に珍しい。旅のお方ですか?」

 驚いた顔に笑みが浮かぶ。
 その笑みに、はほっと力を抜いて、薬売りの横に並ぶ。

「薬の行商を、しているんですよ」
「まぁ、お薬の」
「あの、この辺りにお住まいなんですか?」
「えぇ、そうなんです」


 にこやかに答える女に、も釣られて微笑む。


「…薬を売っていらっしゃるなら、咳に効く薬もありますか?」
「咳、ですか」
「はい。娘の咳がとまらなくて」
「具合を診させて、いただけますか」
「あの、是非…!」





 すぐそこに家があると言う女の案内で、草の間を掻き分けて歩く。
 道すがら、女は“フキ”と名乗った。

「ここに住んでいるのは、貴女と、その娘さんだけ、ですか」
「…えぇ、皆、出て行きました」
「そんな」
「仕方ないんです。ここでは作物が育たなくなってしまって」

 去年の鉄砲水で、それまでの土が流されてしまったのだ。
 そのせいで作物の育ちが悪くなり、食糧が不足した。
 暫くは蓄えておいたもので凌いだが、それが尽きるまでに次の作物が育たず、皆諦めてしまった。
 そのうち、他の土地に住む親戚や知り合いを頼って村を出て行くものや、新天地に夢を抱いて、この村を後にするものが増え始めた。
 そうして最後に残ったのが、フキとその娘だったのだ。


「私には、頼る当てがありませんでしたので」
「それじゃあ、食べ物は?」

 淡々と事情を語ったフキを、は心配そうに見つめる。

「山菜や、育ちきらない芋なんかを取って、どうにかやっています。もっと滋養のあるものを食べさせてやりたいんですけど」

 そう言って微笑むものだから、は胸が痛かった。
 誰も居ない、旅人さえも通らないこんな場所で、母娘二人で暮らす。

 自分も母娘二人だったけれど、周りの人達の支えがあってこそ、二人でも遣ってこられたのに、とは痛む胸を押さえた。



「その家です。お恥ずかしいですけど」



 困ったように笑ってフキが指したのは、今にも崩れ落ちそうなあばら屋だった。
 萱葺きは手入れもされず抜け落ちて、壁も柱も水を受けたせいか変色して頼りない。
 辛うじて、障子だけは貼り直されているが、それも穴が目立っている。
 すぐ傍には、畑のようなものがあるが、土があるだけで、何も作られてはいなかった。

「キヨ、今帰ったよ」

 滑りの鈍い戸を明けて、家の中に入る。
 薄暗く、埃臭くもあり、かび臭くもある。

「ケホッ、ケホッ」

 “お帰り”という言葉の変わりに聞こえてきたのは、頼りなく咳が繰り返される音だけだった。

「まぁ…」

 フキは土間から上がると、障子を開けて居間へと入っていった。
 薬売りとは、その後を付いていく。

 小さな部屋には、小さな布団が敷いてあり、小さな身体が力なく横たわっていた。
 咳をする度にその小さな身体は、大きく揺れて折れてしまうのではないかと思うほどだった。
 虚ろに開く目には、来客の存在など映ってはいないだろう。

「キヨ、大丈夫かい?」

 フキは、キヨを仰向けから横向きに変えて、背中を擦ってやる。
 けれど、キヨの咳は止む事はなかった。

「いいお薬は、ありませんか?」

 縋るような瞳で、フキは薬売りを見た。
 も同じように薬売りを見る。


「そう、ですね…」


 薬売りは小さく唸った。



「いつから、咳が」
「冬に風邪をこじらせて、それから…」
「熱は」
「それほど高くはありません」


 フキにいくつか尋ねてから、薬売りは行李を漁りだした。
 ガサゴソと音を立てて、薬売りは何かを探している。
 その周りには行李の中身が並べられていく。
 もフキも、それに目を丸くしていた。


「これで、どうですかね」


 しばしの捜索の後、薬売りは一包みの薬を探し出した。

「それは」
「一言で言えば、咳止め、ですかね」

 薬売りは包みを広げると、それに匙を入れていくらかを取り、別な紙の上に移した。
 そうしてそれをフキに差し出す。
 フキは、両手で恭しく受け取った。

「湯に溶かしたほうが、飲ませやすい、ですよ」
「はい」


 薬売りの言うとおり、フキは土間に下りて湯を沸かした。
 そうしてある程度の温かさになった湯に、薬を溶かしこんで、それをキヨに飲ませた。

 薬をほんの僅か口に含んだ途端、キヨは苦い顔をした。
 嫌だ、と言わんばかりに顔を顰めて、口を噤んでしまった。
「だめよ、折角のお薬なのに」
 フキの言葉にもキヨはイヤイヤと頭を振る。
「キヨちゃん…」
 は心配そうに親子を見守る。
 やはり子供は、薬というものが嫌いなのだろう。
 苦い薬ほど、良く効くというけれど。


「治りたく、ないんで」


 静かに、薬売りが言った。


「ほんの一時苦いのと、ずっと苦しいのでは、どちらが、いいんで」


 キヨは泣きそうな顔をする。
 苦いのは嫌だけれど、苦しいのはもっと嫌だ。
 そう言いたそうな顔だ。


「治ってしまえば、それで済む」


「そうだよ、キヨちゃん。治ればお母さんと一緒に遊べるし、お外にも出られるよ」


 も、薬売りに便乗してキヨを励ます。



 キヨはチラリとフキの顔を見た。
 それに気付いたフキは、優しく頷いた。
 するとキヨは、不満そうに、けれど力強く頷いた。

「遊びたい。…おっかぁと一緒に、いきたい」









「ありがとうございました」


 すやすやと寝息を立てるキヨを背中に、フキは丁寧に頭を下げた。
 深くお辞儀できない代わりに、ゆっくりとした礼だった。

「こんなに穏やかに眠ってくれるのは、本当に久しぶりです」
「そりゃあ、何より」
「本当です。可愛い寝顔ですね」

 幸せそうな顔で穏やかに眠るキヨ。
 は思わす頬に触れたくなったが、起こしてはいけないと、手を引っ込めた。

「…それで、お代のことですが…その」
「構いませんよ。一晩、泊めてくれるなら」
「え…」
「今日は野宿の予定だったんです。泊めていただけたら助かります」
「本当に、それだけで?」
「充分すぎます。ね、薬売りさん」


 が同意を求めると、薬売りは首肯だけで答えた。


「本当に、ありがとうございます。 …これで、一緒に…」


 涙混じりの声と共に、フキは深々と頭を下げようとしたが―。
 起きちゃいますよ、とに止められたのは言うまでもない。













NEXT







完全に流れを切ってしまってる上に
話の内容を考えると
こういうタイミングで出すべき話ではないんですが…

それでもこの順番で作ってしまっているので
ご了承ください。
本当に申し訳ないです。


因みに話自体は去年書いたものです。


そして続きます。


2011/4/10