※自然災害の被害に遭ったという設定が出てきます。
読みたくないという方はスクロールせずにお戻りください。
申し訳ありませんが、自己責任でお願い致します。
そこは、人気のない村だった。
田畑は荒れ、生き物の気配すら感じられない。
旅のものが時折通るためか、畑の合間を縫って辛うじて道は通っている。
周りは草という草で覆われていた。
「何だか寂しいところですね」
は辺りを見回してそう呟いた。
「去年、鉄砲水が、あったらしいですよ」
「…それで…」
薬売りの返事に、は暗い顔をする。
「多くの民家が流されて、皆、ここを出てしまったと」
「じゃあ、ここには誰も?」
「そう、聞きましたが…」
薬売りの言葉が途切れたことを不思議に思ったは、薬売りの視線を追った。
人の背丈よりも大分伸びた草の向こうで、何かが動いた。
ガサガサと音がして、順に草が揺れていく。
「な、何でしょうか、あれ」
は思わず薬売りの背後に隠れる。
「さぁて」
薬売りの声は、どちらかというと楽しそうだ。
からは見えないが、きっと口角を上げているに違いない。
草の揺れが近付いてくる。
僅かに腰を落として身構える薬売り。
やがて草の間から、何かが姿を現した。
「まぁ…!」
草叢から出てきたのは、女だった。
三十路を超えるか超えないか、そのくらいに見える。
驚いた顔は少々やつれていて、着ている着物も摩れて汚れていた。
手には大きな籠を持っていて、その中には何やら緑の葉が入っている。
「こんな所に珍しい。旅のお方ですか?」
驚いた顔に笑みが浮かぶ。
その笑みに、はほっと力を抜いて、薬売りの横に並ぶ。
「薬の行商を、しているんですよ」
「まぁ、お薬の」
「あの、この辺りにお住まいなんですか?」
「えぇ、そうなんです」
にこやかに答える女に、も釣られて微笑む。
「…薬を売っていらっしゃるなら、咳に効く薬もありますか?」
「咳、ですか」
「はい。娘の咳がとまらなくて」
「具合を診させて、いただけますか」
「あの、是非…!」
すぐそこに家があると言う女の案内で、草の間を掻き分けて歩く。
道すがら、女は“フキ”と名乗った。
「ここに住んでいるのは、貴女と、その娘さんだけ、ですか」
「…えぇ、皆、出て行きました」
「そんな」
「仕方ないんです。ここでは作物が育たなくなってしまって」
去年の鉄砲水で、それまでの土が流されてしまったのだ。
そのせいで作物の育ちが悪くなり、食糧が不足した。
暫くは蓄えておいたもので凌いだが、それが尽きるまでに次の作物が育たず、皆諦めてしまった。
そのうち、他の土地に住む親戚や知り合いを頼って村を出て行くものや、新天地に夢を抱いて、この村を後にするものが増え始めた。
そうして最後に残ったのが、フキとその娘だったのだ。
「私には、頼る当てがありませんでしたので」
「それじゃあ、食べ物は?」
淡々と事情を語ったフキを、は心配そうに見つめる。
「山菜や、育ちきらない芋なんかを取って、どうにかやっています。もっと滋養のあるものを食べさせてやりたいんですけど」
そう言って微笑むものだから、は胸が痛かった。
誰も居ない、旅人さえも通らないこんな場所で、母娘二人で暮らす。
自分も母娘二人だったけれど、周りの人達の支えがあってこそ、二人でも遣ってこられたのに、とは痛む胸を押さえた。
「その家です。お恥ずかしいですけど」
困ったように笑ってフキが指したのは、今にも崩れ落ちそうなあばら屋だった。
萱葺きは手入れもされず抜け落ちて、壁も柱も水を受けたせいか変色して頼りない。
辛うじて、障子だけは貼り直されているが、それも穴が目立っている。
すぐ傍には、畑のようなものがあるが、土があるだけで、何も作られてはいなかった。
「キヨ、今帰ったよ」
滑りの鈍い戸を明けて、家の中に入る。
薄暗く、埃臭くもあり、かび臭くもある。
「ケホッ、ケホッ」
“お帰り”という言葉の変わりに聞こえてきたのは、頼りなく咳が繰り返される音だけだった。
「まぁ…」
フキは土間から上がると、障子を開けて居間へと入っていった。
薬売りとは、その後を付いていく。
小さな部屋には、小さな布団が敷いてあり、小さな身体が力なく横たわっていた。
咳をする度にその小さな身体は、大きく揺れて折れてしまうのではないかと思うほどだった。
虚ろに開く目には、来客の存在など映ってはいないだろう。
「キヨ、大丈夫かい?」
フキは、キヨを仰向けから横向きに変えて、背中を擦ってやる。
けれど、キヨの咳は止む事はなかった。
「いいお薬は、ありませんか?」
縋るような瞳で、フキは薬売りを見た。
も同じように薬売りを見る。
「そう、ですね…」
薬売りは小さく唸った。
「いつから、咳が」
「冬に風邪をこじらせて、それから…」
「熱は」
「それほど高くはありません」
フキにいくつか尋ねてから、薬売りは行李を漁りだした。
ガサゴソと音を立てて、薬売りは何かを探している。
その周りには行李の中身が並べられていく。
もフキも、それに目を丸くしていた。
「これで、どうですかね」
しばしの捜索の後、薬売りは一包みの薬を探し出した。
「それは」
「一言で言えば、咳止め、ですかね」
薬売りは包みを広げると、それに匙を入れていくらかを取り、別な紙の上に移した。
そうしてそれをフキに差し出す。
フキは、両手で恭しく受け取った。
「湯に溶かしたほうが、飲ませやすい、ですよ」
「はい」
薬売りの言うとおり、フキは土間に下りて湯を沸かした。
そうしてある程度の温かさになった湯に、薬を溶かしこんで、それをキヨに飲ませた。
薬をほんの僅か口に含んだ途端、キヨは苦い顔をした。
嫌だ、と言わんばかりに顔を顰めて、口を噤んでしまった。
「だめよ、折角のお薬なのに」
フキの言葉にもキヨはイヤイヤと頭を振る。
「キヨちゃん…」
は心配そうに親子を見守る。
やはり子供は、薬というものが嫌いなのだろう。
苦い薬ほど、良く効くというけれど。
「治りたく、ないんで」
静かに、薬売りが言った。
「ほんの一時苦いのと、ずっと苦しいのでは、どちらが、いいんで」
キヨは泣きそうな顔をする。
苦いのは嫌だけれど、苦しいのはもっと嫌だ。
そう言いたそうな顔だ。
「治ってしまえば、それで済む」
「そうだよ、キヨちゃん。治ればお母さんと一緒に遊べるし、お外にも出られるよ」
も、薬売りに便乗してキヨを励ます。
キヨはチラリとフキの顔を見た。
それに気付いたフキは、優しく頷いた。
するとキヨは、不満そうに、けれど力強く頷いた。
「遊びたい。…おっかぁと一緒に、いきたい」
「ありがとうございました」
すやすやと寝息を立てるキヨを背中に、フキは丁寧に頭を下げた。
深くお辞儀できない代わりに、ゆっくりとした礼だった。
「こんなに穏やかに眠ってくれるのは、本当に久しぶりです」
「そりゃあ、何より」
「本当です。可愛い寝顔ですね」
幸せそうな顔で穏やかに眠るキヨ。
は思わす頬に触れたくなったが、起こしてはいけないと、手を引っ込めた。
「…それで、お代のことですが…その」
「構いませんよ。一晩、泊めてくれるなら」
「え…」
「今日は野宿の予定だったんです。泊めていただけたら助かります」
「本当に、それだけで?」
「充分すぎます。ね、薬売りさん」
が同意を求めると、薬売りは首肯だけで答えた。
「本当に、ありがとうございます。 …これで、一緒に…」
涙混じりの声と共に、フキは深々と頭を下げようとしたが―。
起きちゃいますよ、とに止められたのは言うまでもない。
NEXT
完全に流れを切ってしまってる上に
話の内容を考えると
こういうタイミングで出すべき話ではないんですが…
それでもこの順番で作ってしまっているので
ご了承ください。
本当に申し訳ないです。
因みに話自体は去年書いたものです。
そして続きます。
2011/4/10