綺麗な人。
何だか引っかかる。
「綺麗な人? 男の話かい?」
「そうなの。凄く妖しくて綺麗!!」
妖しい。
凄く引っかかる。
「診療所の前に居たから、津田先生のお知り合いかなと思って」
「とにかく不思議な空気だったんですよ」
「この世のものとは思えない綺麗さで」
それって。
「遠目に見ただけだけど、ふわっとした髪に、青い着物が爽やかで」
「そうそう、背筋が伸びて」
「しなやかだったよね」
「この日差しなのに色も白かったし」
あぁ、もう、それは確実に薬売りさんだ。
何だか聞いてはいけないような気がして、変な苦笑いになってしまう。
知り合いだと言った方がいいだろうか。
「この辺じゃあ見ない顔かい?」
「はい。目立つから絶対知らないわけないです」
「いくつくらいなんだろう?」
「二十代半ばって所じゃない?」
「三十路は行ってないよね」
「何やってる人なんだろう?」
薬売りだと分からないってことは、行李は背負ってなかったってこと?
診療所の前に荷物を持たないで居たって事は、今日も戻らないのかもしれない。
今夜も独りだ。
こんなに賑やかだから、きっと今夜の寂しさは一入かもしれない。
もう、何日分も話したいことが溜まってしまっているのに。
「診療所の前にいたんなら、医術に関わりがあるのかも」
「あんな派手な人、医者なわけないでしょ」
「単に診療所に知り合いが居ただけかもよ? 患者さんの身内とか」
「それよりも気にならない??」
「何が?」
「恋人がいるかいないか」
やっぱり、年頃の娘が集まると、自然とこういう話になるもので。
何だか、知り合いだとか、実は一緒に旅をしてるとか、一切の事を言い出す機会を失ってしまった。
「いない方がおかしいわよ」
「え、でもほら、結構遊んでたりとか」
「有り得ないことではないねぇ」
「女将さん! 夢を壊さないで下さい」
「何言ってんだい」
「きっと、何処か遠くの地に素敵なお内儀がいて」
「何で遠くなの?」
「だって、その方が二人の絆が…」
凄いなぁと、本当に思う。
姿を見ただけの人に、ここまでの想像が出来るなんて。
こんなに明るくて賑やかで、それでいて町娘らしい会話に、私は付いていけない。
聞いているフリをして、窓の外を見た。
もう、すっかり日が落ちてしまった。
薬売りさんはまだ診療所だろうか。
「ねぇ、さんはどう思う?」
「え!?」
唐突に話を振られて、変な声が出てしまった。
「その不思議な人、どんな人だと思う?」
「えっと、急にそんなこと聞かれても」
「何やってる人だと思う?」
「…え、何かの行商とか」
「どうしてそう思うの?」
「この辺じゃ、見たことないんですよね。だから、旅をしてる人かと」
「旅をしてる人なら、やっぱり遠くにお内儀よね?? それで二人の絆は強いんでしょう?」
「そ、そこまでは…」
「こら、ちゃん困ってるじゃないの」
「だって気になる」
女将さんの一言で私への質問は途絶えたけれど、この子たちの興味が削がれることはないと思う。
だって、傍から見たら本当に不思議な人だから。
薬売りさんだけじゃない。
この子達にとっては、自分以外の全ての人が興味の対象なのかもしれない。
だから、いつも笑顔で、華やいでいるんだ。
「ほら、そろそろお帰りよ。日が暮れてるじゃないの」
女将さんはそう言うと立ち上がって、娘さん達を帰途に促す。
私も片付けを始めようと、立ち上がって下駄に足を通した。
ちょうどその時、店の戸が乾いた音を立てた。
「ちょいと、すみませんが」
聞きなれた声がすると、見慣れた姿がそこにはあった。
きゃあ、と驚く娘さん達の声が聞こえた。
私は遠慮がちに薬売りさんに駆け寄った。
薬売りさんの顔をまともに見るのは久しぶりだ。
少しやつれて、顔色もあまり良いとは言えない。
「やはり、ここ、でしたか」
「薬売りさん…、どうしてここに?」
「宿の人に、まだ帰らないと、聞いたもんで」
「患者さんたちは大丈夫なんですか?」
「三日も碌に寝ていないと、流石にこちらが、持ちませんよ」
「だったら宿で休んでいてください。私ももう帰るところだったんですから」
あまり会話を聞かれたくなくて、声が小さくなる。
「そりゃあ、そう、なんですがね」
「ちゃん」
後ろから声を掛けられて、慌てて振り返る。
女将さんは晴れやかな顔で笑っているけど、娘さん達は目を丸くしている。
私と薬売りさんが知り合いということは、そんなに驚く事なんだろうか。
「今日はもういから、その人と一緒にお帰りよ」
「でも」
「折角迎えに来てくれたんじゃないか」
「…」
「それじゃあ、お言葉に、甘えて」
私の代わりに、薬売りさんが答えた。
「薬売りさん!」
「さんが、お世話になって、いるようで」
薬売りさんは軽く頭を下げる。
「いいえ、そんなこと。助かってますよ」
「それでは」
薬売りさんは踵を返して戸へ向かう。
私は慌てて女将さんと、それからやっぱり驚いた顔の娘さん達にも頭を下げて、薬売りさんの後を追った。
「また明日、宜しくね」
「はい。失礼します」
店を出た後聞こえてきたのは、悲鳴にも似た娘さん達の声だった。
きっと明日は、質問攻めになるんだ。
溜め息を吐きそうになるのを、押し留める。
折角、薬売りさんが迎えに来てくれたんだから。
ゆっくりとした歩調で、薬売りさんは歩く。
その斜め後ろに、私は続く。
店の外は、まだ昼間の熱気が残っている。
「疲れてるのに、すみません」
「俺が勝手に、したこと、ですから」
薬売りさんは足を止めて、横に並ぶように目で示す。
隣に行くと、またゆっくりと歩き始めた。
「随分と、楽しそう、でしたね」
「え?」
「娘さん方と」
「そうですか?」
「どうやら俺には、何処かに妻が、いるらしい」
「聞いてたんですか!?」
「少しだけ、ですよ」
見上げると、薬売りさんの方が楽しそうだ。
「強い絆で結ばれてるんですか?」
「そうだと、いいんですがね」
何だかまるで、本当にいるみたい。
そういえば、聞いたことがないから、もしかするともしかするのかもしれない。
念のために確かめてみる。
「…まさか本当にいるんですか…」
「何を、言っているんだか」
クスリと、鼻で笑われてしまった。
「時に、さん」
「はい」
「身体の調子は、どうですか」
「至って元気です。この前みたいなことには二度となりません」
「そりゃあ、何より」
「私より薬売りさんです。三日も働きづめじゃないですか。柄にもない」
薬売りさんが商売にもならないことや、他人のために何かをするなんて、本当に珍しくて、少し驚いている。
けれど、自分の身体を心配して欲しい。
「柄にもない、ですか」
「そうです」
「大丈夫、明日は昼まで、寝ていますよ」
「残念ですけど、私は居ませんよ。あの女将さんや娘さん達に、きっと質問攻めにされるんですから」
「そりゃあ、大変そうだ」
「誰の所為だと思ってるんですか」
薬売りさんは楽しそうに口角を上げた。
「どうせなら、いつものように、“フリ”をしてみたら、どうですか」
「どうしてわざわざ。あの娘さんたちはきっと言い寄ってきたりしないと思いますけど」
「楽しそうじゃ、ないですか」
「えぇ?」
「さんが、更に質問攻めにされるのが」
「何ですか、それ!?」
他人事だと思って。
この人は、本当に人を困らせるのが好きなんだ。
口を尖らせて抗議すると楽しそうに笑う。そういう人だ。
NEXT
ただ長いだけです。
2011/5/29