森の中にある、何もない空間。
その隅の方には、古びた祠がある。
薬売りとは、紗菜をそこへ連れて来た。
紗菜は半信半疑、いや、どちらかというと疑っている。
本当に荘太が待っているのかどうか。
もう、荘太は死んでしまっているのに。
祠の前まで来て、紗菜ははっとした。
「ここは…」
その声に薬売りもも、紗菜を振り返る。
「覚えがありますか?」
「はい。…一度、二人で町を抜け出して、ここまで来た事があります」
の問いに、紗菜は自身でも驚いたように答えた。
「だ、そうですよ」
薬売りが、祠の脇の何もない空間にそう声を掛けた。
そして、少し間を置いて薬売りはクツクツと喉を鳴らし、は口に手を当てて小さく笑った。
「あの…」
訳の分からない紗菜。
とても異様な光景だ。
「あぁ、すみませんね」
薬売りはそう言うと、一枚の紙を取り出し何かを唱えると、その何もない空間に貼り付けた。
すると、そこは淡く光を放って、それから何かの輪郭を形作った。
そしてぼんやりと、何かが姿を現した。
「…え…」
紗菜はその光景に息を呑む。
何もなかったはずの場所に、男が一人立っている。
しかも、その姿は半透明で、向こう側が透けて見えるのだ。
それでも、確かにそこに人が居る。
雌黄の着物に、やや日に焼けた肌。
細身だが長身で、がっちりとしている。
見るからに活発そう、というかやんちゃそうな風貌だ。
けれど、面影がある。
「まさか…」
信じられない、という表情をする紗菜。
“…よ。久しぶりだな”
気まずそうに笑う男。
「荘太…なの?」
“あぁ、悪いか”
次第に目に涙を溜めていく紗菜を、荘太は頭を掻きながら見つめた。
“随分、女っぽくなったんじゃねぇの”
「余計なお世話っ」
悪戯っぽく言った荘太に、紗菜は間髪入れずに返す。
薬売りもも、さっきまでと雰囲気の変わった紗菜に少々驚いている。
あれはあくまでも他人への態度で、素の彼女はこちらなのかもしれない。
“なんだ、中身は変わってねぇの”
「うるさい! アンタなんか、酷い変わり様じゃない」
“確かに。つるんでた連中のせいだろうな”
「…違う」
“…”
「…死んだじゃないの」
ポロポロと涙を流しながら、紗菜は荘太を見上げた。
“…そうだな…”
それまでの悪戯っ子の様な顔から、哀しい笑みに変わった。
それから暫く沈黙が続いた。
その静かな空気を、薬売りもも見守るしかなかった。
沈黙を破ったのは、紗菜のほうだった。
「何で此処にいるの?」
“分からねぇ…。死んで、気付いたら此処にいて、ここから動けねぇんだ”
紗菜の問いに、荘太は薬売りに聞かれた時と同じように答えた。
「覚えてないの?」
“あぁ”
「アタシもバカだけど、アンタもやっぱりバカ」
“何だよ、それ”
紗菜は、若干の怒りを込めた視線を荘太にくれてやった。
「ずっと小さい頃、アンタ、此処で、アタシの事お嫁さんにしてくれるって言ったんだよ」
“…”
荘太は、目を見開いた。
言われて、抜け落ちていた記憶が甦ってきた。
誰かが言ってた。
森の中の祠で願い事をすると、それが叶うのだと。
それを真に受けて、二人で町を抜け出してきた。
今のように人の通る道はなく、子供の足という事もあって、見つけるのに時間がかかった。
漸く見つけた頃には日が暮れていて、とても怖かったのを思い出した。
二人とも心細かったけれど、幼い紗菜は怖がりで今にも泣き出しそうだった。
そんな紗菜を喜ばせたいと思って、口にした願い事。
『紗菜が、俺のお嫁さんになりますように』
紗菜は驚いていたけれど、とても喜んでくれた。
そうして、それに答えるように、紗菜も声に出した。
『荘太のお嫁さんになれますように』
幼かった二人の、小さな、けれど大切な約束。
その夜は、帰りが遅くなって、二人ともとても疲れてしまった。
家に帰れば、二人が帰ってこないと大騒ぎになっていて驚いた。
元々どちらも活発で、いつも親を心配させていたけれど、その夜ばかりは本当にこってりと絞られて、とても後味が悪かった。
だから、その日の記憶は、嫌な記憶として封印されてしまった。
けれど、約束だけは、ひっそりと胸の中で息づいていた。
「バカみたいに信じてた…。子供の言う事なのに」
次から次へと、涙が溢れる。
「何で死んだのよ、この大バカ!!」
“バカ、か…。ホントにな”
溜め息を飲み込むために、荘太は空を見上げた。
腕を組んで、肩の力を抜く。
荘太が力を抜くと同時に、何処かから声が降ってきた。
「ホントに、行くからね」
「…仕方ねぇだろ」
「うん…」
今と同じ。
沈んでいく空気が嫌だった。
だから、強がった。
あの時は。
「清々するだろ、もう怒鳴らなくて済むし」
「…」
「俺も清々するぜ。お前の顔見なくて済むからな」
少女の、紗菜の口が真一文字に結ばれるのに、気付かないふりをした。
「もうガミガミ言われないし」
いつもの調子で軽く言い合って、いつもの調子で軽く別れて―。
「…か…」
「は? 何か言った?」
「ばかっ!!!」
そう言って、紗菜は駆けて行ってしまった。
いつもの調子で、次の朝も顔を合わせる。
もう、出来はしないのに。
NEXT
もうちょっとです。
2012/7/8