幕間第五十六巻


〜痴話喧嘩・壱〜







 奉公先で言い付けられて、お届け物をしている途中だった。
 その辺りでも人通りの多い、大きな通りを歩いていると、何だか遠くの方がざわざわと騒がしくなってきた。
 それに気付いた周りの人や、通り沿いの商店から顔を出した人、とにかく皆がそちらに目を向けた。

「ま〜た始まったな」
「やれやれ」
「今日はどうかねぇ」

 聞こえてきたのは呆れたような言葉だけれど、顔はとても楽しそうに見える。

 徐々に“ざわざわ”が近付いてきて、私もそちらに目を向けてみた。




「待て、お紺!!」

 まず、男の人が叫ぶ声が聞こえた。

「嫌や!! アンタに構ってる暇はあらへん!」

 次に、女の人の声が聞こえた。

「少しや、少し! 少しでえぇねん!」

「嫌や言うとるやろ!」

 どうやら引き止めたいらしい。

「止まれって!」

「急いどるん!」

 どうやら振り切りたいらしい。


「あぁ、やっと来たわ」
「今日も遠くからよう聞こえるなぁ」

 そう話していた人達には、もう声の主たちが確認できたらしい。

「一寸や言うてるやろ!」

「そんな暇あらへん!」


 どんどん声が近付いてきて、私にも漸く声の主たちが見えた。


 最初に見えたのは、女の人だった。

 こんな言い合いをしているとは思えないくらい可愛らしい娘さんだ。
 小さな花が一輪咲いたように、小柄でふんわりとしている。
 お付きの人がいるから、何処か大店のお嬢様なのかもしれない。
 その娘さんが、物凄い大腕を振って、物凄い速さの早歩きで、物凄く腹立たしそうな顔をして、勢いに任せて通りを突き進んでいる。


 次に見えたのは、男の人。

 娘さんより幾分年上のように見える、一見すると男前の部類に入る町人体の人だ。
 着ている半被に、何処かの紋が抜かれている所を見ると、こちらも大店で働いているか出入りしている人なのかもしれない。
 娘さんを追いかけて、埃が舞うのも、着物が暴れるのも構わずに走っている。
 全力疾走しないあたり、この状況を楽しんでいるようにも見えなくも無い。




「一言聞いてくれればええんや!」

「もう聞き飽きたわ!」


「聞いてくれって!」

「せやから聞き飽きた!」



 往来の人々を気にすることなく繰り広げられる言い合い。
 何処か楽しんでいるように見えるその人達とは違って、私は一向に状況が理解できない。


 そうして、二人が丁度私の前を通り過ぎようとしたときだった。




「好きやっ!!!!!」




「嫁に来いっっ!!!!!!」





 ぶっ。


 何、言ってるんですか…。



 こんな往来で。





 開いた口も、目も、塞がらない。





「知らん言うてるやろ、この阿呆――――!!!」






 大勢の前で盛大に振って、その娘さんは今度こそ走って逃げて行った。




「今日もダメだったなぁ、春坊」
「押してダメなら引いてみろって言うやろう」
「堪えてないか、春坊」


 娘さんが走って行った方を見つめる男の人に、町の人達が次々に声を掛けていく。


「ボンボン煩い! 余計なお世話や!」


 誰に言うでもなく叫んで、その人は踵を返して来た道を戻って行った。





「な、何ですか、今の?」

 私は近くで笑っていた夫婦らしい男女二人に聞いてみた。

「この辺の人やないなら、知らんでも仕方ないな」
「はぁ、旅の者です」
「男の方は呉服屋の倅で春之介、女の方は染物屋の娘でお紺や」
「二月くらい前に、やっぱりあないな風に春の奴がお紺さんを追いかけて、突然“嫁に来い”だの“何がアカンのや”って叫んだんよ」
「でも、お紺さんはあの通り。それから三日と空けずに追いかけっこ」
「すっかり名物になったなぁ」
「はぁ…」
「二人とも小っさい時からよう知ってるし、皆お似合いや言うてるんやけど…」

 何だか理解しがたい話だけれど、とりあえず皆楽しんでいるようだった。

「双方の親の間ではもう決まっているのに、お紺さんがどうにも頑固でねぇ」
「仕方ないやろ、あの春坊だからなぁ」

 ははは、と苦笑いする旦那さん。
 そうねぇ、と同意する奥さん。

「まぁ、この町を楽しんで行ってな。ちょっと騒々しいかもしれへんけど」

「はぁ…、ありがとうございます」















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はい、似非関西弁です、すみません。
変な所があれば、構わず「こうだよ」と教えていただければ嬉しいです。




2013/3/10




もう二年か…