幕間第五十六巻


〜痴話喧嘩・弐〜






 とても不思議な町だと思う。
 あんな光景、初めて見た。

 大きな声で自分の想いをぶつけて、盛大に振られる。
 人から威勢よく想いをぶつけられても、すっぱりと振ってしまう。

 しかも、大勢の人の前で。

 何だか、お芝居でも見ているような感じがする。



 でも…




「あ、ここだ」


 考えながら歩いていると、届け物の宛を見つけた。

「八重樫屋さん…って、あれ?」

 そこは染物屋さんだった。
 大きな構えで、格子の窓が続いていた。
 開け放された玄関の奥に土間が見え、少し覗くと左手に品物が置いてあり見世なのだと分かった。
 けれど、そこに人の姿はなく、奥の方ががやがやとしていた。
「ごめんください、簗瀬の使いで参りました」
 奥に向かって声を張った。
「はーい、お待ちください」
 すぐに返事があって、程なくして人影が見えた。
「あ」
 思わず声に出してしまって、奥から出てきた人が不思議そうな視線を私に向けてきた。

 その人は、さっき盛大に春之介という人を振った、お紺さんだった。

「お待たせいたしました…えっと…?」

 私が目を丸くしているのを不審がって、お紺さんは首を傾げた。

「あ、すみません。簗瀬の使いでこちらの書状をお届けに参りました」
「まぁ、おおきに。これで漸く新しい色に手をつけられます」
 にこりと笑った顔は、とてもあんな物言いをする人には見えなかった。
「初めて見るお方ですね」
「はい、一昨日から働かせていただいてます」
「この辺は初めて?」
「はい、旅の途中で。町々で働きながら旅費を稼いでいます」
 お紺さんは私の答えを聞いて、何処か納得したような素振りを見せた。
 そうして、はた、と何かに思い至った。


「…もしかして」
「はい?」
「見てました?」
「え?」
「大通りでの騒ぎ…」
「え…まぁ、はい」


 するとお紺さんは盛大に溜め息をついた。


「もう、恥ずかしくて敵わんっ」


 あれだけはっきり振っておいて、恥ずかしいって…。

「町の人なら見慣れてるやろうけど、そうや、旅の人もおるんや」

 掌を額にあてて見るからに“しまった”という感じ。
 というか、さっきまでの丁寧さというか、いかにもお嬢様風な物腰がなくなってしまった。

「春之介のやつ…」

 舌打ちでもしそうな言い方だったけれど、流石にそれはなかった。

 でも、どうしてだろう。
 ふと疑問が浮かんでしまった。

「あの、初対面なのに差し出がましいんですけど」
「何?」
「ご両親が決めたんなら…もう…」

 親同士が決めた結婚は、子供には抗う事なんて出来ない。
 お武家や、こういう大きなお店なら尚更。
 私は庶民の、しかも下の方の生まれだからあまり関係ないのだけれど…。

 とにかく、本人達がどうこう言えるものではないと思う。
 それに、お相手の春之介さんは乗り気なようだし。

「私は、試しとんねや」
「試す?」

「あの、春之介いうんは、女遊びが好きで、よく花街通ってたんや。私はそれが気に入らへんの」
「花街…ですか」

 妙に納得してしまう辺り、自分も女だなと思う。



「縁談があってから止めたみたいやけど、それがどれだけ続くんか、試してやるんよ」

「そうなんですか。それは、何ていうか…」

 春之介さんの自業自得?

「そしたら、私が春之介んこと気に入らへんから断ってる思うたみたいで…」
「じゃあ、気に入ってはいるんですか?」
「嫌いではないなぁ。昔から知ってるけど、楽しい人や思う」

 もう親同士で決めた事だし、とお紺さんは肩を竦めた。

「春之介さんの方は、お紺さんのことすっかり気に入ってるみたいですね」
「え? そんな訳ないやろ」

 目を丸くするお紺さんに、私の方も吃驚して目を丸くしてしまった。

「親が決めてなければ、私なんか眼中ないやろ。春之介の好みは、もっとこう…」

 お紺さんは、身振り手振り、いかにも男受けするような体つきを示してきた。
 私はそれに首を振って、苦笑した。

「一回見たくらいで、何で春之介が私を気に入ってる思うん?」
「だって、見れば分かりますよ」

 あの一生懸命さ。
 何度でも追いかけて、何度でも振られて。
 人前だろうが何だろうが、形振り構わず。
 自分の声、自分の言葉で気持ちを伝える。

「春之介さんは、貴女をお嫁に貰うって決めてますよ」
「だから、私は…」

 困ったように口を尖らせるお紺さんは、やっぱり花のように可愛らしかった。


「いいじゃないですか。あんなにはっきりと好きって言ってくれるんですから」


 私が笑いかけると、お紺さんは益々困った顔をしてしまった。


「あ、すっかり長居してしまいました。それじゃあ、私はこれで」


「え、あっ」

 頭を下げて、踵を返した。
 呼び止められそうになったけれど、気付かないふりをしてそのまま敷居を跨いだ。








 何だか、半分くらいは既に痴話喧嘩だったんじゃないか。
 帰る道々、そう思えてきた。

 試すと言ってたけれど、それだってもう嫁ぐ前提でやってることだし。
 そう、街を巻き込んだ盛大な夫婦喧嘩なんだ。


 だけど、とても羨ましく感じる…



 だって、私は…
















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2013/3/17