幕間第五十七巻
〜加代・の回・壱〜





 空を見上げると、雲が低く垂れ込めて、どんよりとしていた。
 はぁ、と吐いた息は白くて、それを見ただけで身震いがした。
 早く宿に帰ろうと足を速めた。
 首元に通る風が冷たくて、思わず肩を竦める。
 宿に戻ったら、真っ先に布団でも被ってしまおうか。

 そんなことを考えながら近付いてくる宿へ目を向けた。
 宿の入口にいる人を見て、自然と口角が上がってしまった。
 薬売りさんが、ちょうど宿に入るところだった。
 暖簾をくぐる手前で、薬売りさんも私に気付いてくれて、ほんのちょっと表情を緩めてくれた。
 さっきまでの寒さなんて忘れてしまう。
 そこで待ってくれている薬売りさんに、駆け寄ろうとしたときだった。


「あ〜、薬売りさんじゃないですかぁ」


 突然、私とは反対方向から来た娘さんが、薬売りさんに声を掛けた。

 薬売りさんは、(お客さんかもしれないし)無視する事は出来ないから、もちろん其方を向いてしまう。
 私はといえば駆け寄ろうとした足を止めて、少し距離を置いて様子を覗った。


「また会いましたね〜」


 高い声で、少し間延びした喋り方をする娘さん。
 焼けているのか、それが地なのか、その娘さんは色黒で、とても肉厚の唇をしていた。
 何でだろう…。なんだか、とても既視感がある…。


「おや、誰かと思えば」


 薬売りさんも、知った風な話し方。


 一体、誰だったか…。


「加代さんじゃあ、ないですか」


 加代さん…?


 加代さん…。


『では、加代殿、ここでお別れですな』
『はい、小田島様もお元気で』


 あぁ、加代さん…!


 最初に薬売りさんに出会った、あの坂井のお屋敷にいた娘さんだ。
 思わず手を叩きそうになるのを留めて、成り行きを眺めてみた。

「ソラリス丸以来ですね〜、お元気でしたか?」
「えぇ。加代さんも、お変わりないようで」
「そりゃあ元気だけが取り柄ですもん!」
 表情豊かに話す加代さんに、薬売りさんも表情を和らげる。
 “そらりすまる”というのが何なのか、ちょっと気になる所だけれど、今のところ私の入る隙はないみたい。
「今はこの近くのお屋敷で働いてるんですよぉ」
「奉公先が見つかって、何より、ですね」
「どうなるかと思いましたけどね〜。…薬売りさんは変わらず旅ですか?」
「えぇ、まぁ」
「あ!! もしかしてこの辺りにも!?」
 ハッとして辺りをキョロキョロとする加代さん。
「俺の行く所全てに、モノノ怪が居る訳じゃあ、ありませんよ」
「そうですよねぇ、良かった〜」
 肩の力を抜いて安堵する加代さんを見て、薬売りさんが小さく笑った。


 なんだか…


 胸の辺りが、変な感じ。


「あれぇ? そっちの子、何処かで」


 少し距離を置いて突っ立っている私に、加代さんは気付いた。

「え、あ…」
「おや、知り合い、ですか」
 薬売りさんが、こちらに半身を向ける。
「知り合いと言うか、坂井のお屋敷で。薬売りさんがモノノ怪を斬った後です」
「あぁ! 思い出した! あの不思議な子」
「…といいます」
「不思議、ですか」
「そうなんですよ〜。何か、聞こえたって言ってましたよねぇ?」
「そう、ですか」
 そう言って、薬売りさんは私に向かって目を細めた。

「で、お二人はなんで一緒に? あの時は別々でしたよねぇ?」

 目をまん丸にして、首を傾ぐ加代さん。
 とても可愛らしい人だ。

「あぁ、それは」

 …。
 薬売りさんがどう答えるのか、不安になった。


「一緒に旅を、しているんですよ。モノノ怪を斬る、旅を」
「えぇぇ!?」

 加代さんはとても驚いて、薬売りさんに大丈夫なのか、とか色々聞いているようだった。
 けれど、私の耳には二人の会話はあまり入ってこない。


 ちょっと、驚いていた。



 そう。

 そうだよね、その通り。


 何だか肩透かしを食らったみたいに、全身から力が抜けた。
 何を、不安に思ったんだろう。

 私達の事なんて、自分たちが分かっていればいい事で、別に人に話す必要はないんだ。

 そうだ。


 あぁ、また、変な感じ…。


 その変な感じにハッと我に返る。


「立ち話もなんですし、ここに部屋を取ってますからどうですか?」

 その違和感を隠して、二人に笑った。

「残念なんですけど、今お使いの帰りなんですよ〜。早く帰らないと煩くて」
「そりゃあ、大変だ。小言を言われる前に、帰らなけりゃあ」
「そうなんです。じゃあ、失礼しますねぇ」


 不満そうに口を尖らせてから、加代さんは笑って去って行った。

 その背中を見送りながら、私はまだ胸に残る違和感が何なのか考えていた。


さん」

「…はい?」

 返事をしたのに、薬売りさんは何も言わなかった。
 それから暫く私の顔を伺うように覗き込んで、それだけだった。

「いえ、何でも、ありません。中に入りましょう、流石に、冷えますね」
「あ、はい…」

 その、覗き込まれたときの目が、何か言いたそうなのは分かった。
 でも、私から聞くことはしない。
 言いたくなったら、薬売りさん本人から言ってくれるはずだから…。




 だけど…。

 部屋に戻った後も、薬売りさんの視線を感じた。
 夕餉を食べているとき。
 荷物を整理しているとき。
 お風呂をいただきに出るとき。
 そしてお風呂から戻ってからも。

 流石に気になる。

 どうしてそんなに私を見るのか。


「薬売りさん」
「なんですか」

「本当は、薬売りさんが話してくれるのを待っているんですけど」
「…どういう事で」

「だって、ずっと私を見てるじゃないですか。何か話したいことでもあるのかと思ってるんです」
「…さんしか、見るものがないから、ですよ」

 明らかにわざとすっとぼけたと分かる答えに、がっくりとする。

「じゃあ、私から聞いていいですか?」
「なんですか」
「そらりすまるって、何ですか?」
「…あぁ」


 薬売りさんは、ソラリス丸という船でのことを話してくれた。
 乗った船にたまたま乗り合わせたのが加代さんで、そこでモノノ怪を斬ったらしい。
 他にもお坊さんや修験者、お侍もいたという。


「だから、加代さんと会うのは、三度目、なんですよ」
「そうなんですか」


 だからちょっと親しげなのかと納得する。


「…」


 納得したのに、また、胸の違和感が増した。
 何だろう、これ。


さん」
「え…っ!?」



 突然何をしてくれるんだろう、この人はっ。

 腕をとられたかと思うと、すっぽりと薬売りさんの腕の中に納まっていた。

 夜着になってしまった私には、まだお風呂へ行っていない薬売りさんは、ちょっと冷たい。


「温かい、ですねぇ」






 何だかとても、誤魔化された気がした。


















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一度は登場させたかった加代ちゃん。
このタイミングで動いていただきます^^

2013/5/3