空を見上げると、雲が低く垂れ込めて、どんよりとしていた。
はぁ、と吐いた息は白くて、それを見ただけで身震いがした。
早く宿に帰ろうと足を速めた。
首元に通る風が冷たくて、思わず肩を竦める。
宿に戻ったら、真っ先に布団でも被ってしまおうか。
そんなことを考えながら近付いてくる宿へ目を向けた。
宿の入口にいる人を見て、自然と口角が上がってしまった。
薬売りさんが、ちょうど宿に入るところだった。
暖簾をくぐる手前で、薬売りさんも私に気付いてくれて、ほんのちょっと表情を緩めてくれた。
さっきまでの寒さなんて忘れてしまう。
そこで待ってくれている薬売りさんに、駆け寄ろうとしたときだった。
「あ〜、薬売りさんじゃないですかぁ」
突然、私とは反対方向から来た娘さんが、薬売りさんに声を掛けた。
薬売りさんは、(お客さんかもしれないし)無視する事は出来ないから、もちろん其方を向いてしまう。
私はといえば駆け寄ろうとした足を止めて、少し距離を置いて様子を覗った。
「また会いましたね〜」
高い声で、少し間延びした喋り方をする娘さん。
焼けているのか、それが地なのか、その娘さんは色黒で、とても肉厚の唇をしていた。
何でだろう…。なんだか、とても既視感がある…。
「おや、誰かと思えば」
薬売りさんも、知った風な話し方。
一体、誰だったか…。
「加代さんじゃあ、ないですか」
加代さん…?
加代さん…。
『では、加代殿、ここでお別れですな』
『はい、小田島様もお元気で』
あぁ、加代さん…!
最初に薬売りさんに出会った、あの坂井のお屋敷にいた娘さんだ。
思わず手を叩きそうになるのを留めて、成り行きを眺めてみた。
「ソラリス丸以来ですね〜、お元気でしたか?」
「えぇ。加代さんも、お変わりないようで」
「そりゃあ元気だけが取り柄ですもん!」
表情豊かに話す加代さんに、薬売りさんも表情を和らげる。
“そらりすまる”というのが何なのか、ちょっと気になる所だけれど、今のところ私の入る隙はないみたい。
「今はこの近くのお屋敷で働いてるんですよぉ」
「奉公先が見つかって、何より、ですね」
「どうなるかと思いましたけどね〜。…薬売りさんは変わらず旅ですか?」
「えぇ、まぁ」
「あ!! もしかしてこの辺りにも!?」
ハッとして辺りをキョロキョロとする加代さん。
「俺の行く所全てに、モノノ怪が居る訳じゃあ、ありませんよ」
「そうですよねぇ、良かった〜」
肩の力を抜いて安堵する加代さんを見て、薬売りさんが小さく笑った。
なんだか…
胸の辺りが、変な感じ。
「あれぇ? そっちの子、何処かで」
少し距離を置いて突っ立っている私に、加代さんは気付いた。
「え、あ…」
「おや、知り合い、ですか」
薬売りさんが、こちらに半身を向ける。
「知り合いと言うか、坂井のお屋敷で。薬売りさんがモノノ怪を斬った後です」
「あぁ! 思い出した! あの不思議な子」
「…といいます」
「不思議、ですか」
「そうなんですよ〜。何か、聞こえたって言ってましたよねぇ?」
「そう、ですか」
そう言って、薬売りさんは私に向かって目を細めた。
「で、お二人はなんで一緒に? あの時は別々でしたよねぇ?」
目をまん丸にして、首を傾ぐ加代さん。
とても可愛らしい人だ。
「あぁ、それは」
…。
薬売りさんがどう答えるのか、不安になった。
「一緒に旅を、しているんですよ。モノノ怪を斬る、旅を」
「えぇぇ!?」
加代さんはとても驚いて、薬売りさんに大丈夫なのか、とか色々聞いているようだった。
けれど、私の耳には二人の会話はあまり入ってこない。
ちょっと、驚いていた。
そう。
そうだよね、その通り。
何だか肩透かしを食らったみたいに、全身から力が抜けた。
何を、不安に思ったんだろう。
私達の事なんて、自分たちが分かっていればいい事で、別に人に話す必要はないんだ。
そうだ。
あぁ、また、変な感じ…。
その変な感じにハッと我に返る。
「立ち話もなんですし、ここに部屋を取ってますからどうですか?」
その違和感を隠して、二人に笑った。
「残念なんですけど、今お使いの帰りなんですよ〜。早く帰らないと煩くて」
「そりゃあ、大変だ。小言を言われる前に、帰らなけりゃあ」
「そうなんです。じゃあ、失礼しますねぇ」
不満そうに口を尖らせてから、加代さんは笑って去って行った。
その背中を見送りながら、私はまだ胸に残る違和感が何なのか考えていた。
「さん」
「…はい?」
返事をしたのに、薬売りさんは何も言わなかった。
それから暫く私の顔を伺うように覗き込んで、それだけだった。
「いえ、何でも、ありません。中に入りましょう、流石に、冷えますね」
「あ、はい…」
その、覗き込まれたときの目が、何か言いたそうなのは分かった。
でも、私から聞くことはしない。
言いたくなったら、薬売りさん本人から言ってくれるはずだから…。
だけど…。
部屋に戻った後も、薬売りさんの視線を感じた。
夕餉を食べているとき。
荷物を整理しているとき。
お風呂をいただきに出るとき。
そしてお風呂から戻ってからも。
流石に気になる。
どうしてそんなに私を見るのか。
「薬売りさん」
「なんですか」
「本当は、薬売りさんが話してくれるのを待っているんですけど」
「…どういう事で」
「だって、ずっと私を見てるじゃないですか。何か話したいことでもあるのかと思ってるんです」
「…さんしか、見るものがないから、ですよ」
明らかにわざとすっとぼけたと分かる答えに、がっくりとする。
「じゃあ、私から聞いていいですか?」
「なんですか」
「そらりすまるって、何ですか?」
「…あぁ」
薬売りさんは、ソラリス丸という船でのことを話してくれた。
乗った船にたまたま乗り合わせたのが加代さんで、そこでモノノ怪を斬ったらしい。
他にもお坊さんや修験者、お侍もいたという。
「だから、加代さんと会うのは、三度目、なんですよ」
「そうなんですか」
だからちょっと親しげなのかと納得する。
「…」
納得したのに、また、胸の違和感が増した。
何だろう、これ。
「さん」
「え…っ!?」
突然何をしてくれるんだろう、この人はっ。
腕をとられたかと思うと、すっぽりと薬売りさんの腕の中に納まっていた。
夜着になってしまった私には、まだお風呂へ行っていない薬売りさんは、ちょっと冷たい。
「温かい、ですねぇ」
何だかとても、誤魔化された気がした。
NEXT
一度は登場させたかった加代ちゃん。
このタイミングで動いていただきます^^
2013/5/3