刺す様に冷たい風が吹く朝。
奉公先へと向かう道すがら。
「ちゃん?」
不意に名を呼ばれて、そちらを振り返った。
目に入ったのは、行きかう人ごみの中で一人、微動だにせず立ち尽くしている人。
驚いた顔をして、こちらをじっと見ている。
「え…光太郎さん?」
その顔には、覚えがあった。
昔、旅に出る前にいた母の生まれ故郷。
その町で大工の棟梁の下、修業をしていた人だ。
「驚いたな、こんな所で会うなんて」
日に焼けて、随分と精悍な顔つきになった。
けれど、当時の面影があってすぐに分かった。
「こっちの科白ですよ。お久しぶりです」
「うん、本当に。変わらず元気そうだね」
「ふふ、それだけが取り柄ですから」
肩を竦めると、光太郎さんは、“あぁ”と納得してくれた。
「今はこの町に?」
「いえ。旅をしていて、少しの間逗留しているだけです」
「旅?」
少し驚いたような顔をした。
「はい」
みんな同じような反応をするので、苦笑してしまう。
「あ、これから奉公に上がらないといけないので」
「ん、あぁ。そうだな、俺も…」
軽く会釈をして踵を返した。
「ちゃん」
もう一度、呼び止められた。
「また、会えないかな」
その言葉に、全身に力が入るのが分かった。
「久しぶりだし、ゆっくり話でも出来ないかな」
そんな事を言われると、何処かで分かっていた。
「…連れに、聞いてみますね」
曖昧な笑みで返すと、光太郎さんはまた驚いた顔をした。
光太郎さんとは、奉公先の蕎麦屋で知り合った。
自分が十四、光太郎さんが十五。
年も近く、互いに大人ばかりの中で働いて、似たような境遇だったこともあって、たまに話をした。
帰りが遅くなると、長屋の入口まで送ってもらったこともある。
というか、周りの人たちがそうなるように仕組んでた。
とても気のいい人たちではあったのだけど…
光太郎さんが照れている事とか、私が困っている事とか、そんなことはあまり気にしない人たちでもあった。
多分、私たちを夫婦にしたかったんだと思う。
でも私は、何だかピンと来なかったし、光太郎さんは光太郎さんで修業の身。
お酒の席で、一人前になるまで嫁は取らせないって、棟梁が言っていたのを覚えてる。
そのうち母が亡くなって、色々あった。
母の弔いや、今後の暮らしの目処を立てるのに、お仕事を少し休ませてもらった。
確かその頃、光太郎さんには、棟梁の知り合いの所へ行く話がきていた。
何があるでもなく、離れたんだと思う。
ただ、少しだけ寂しかったのは覚えてる。
あぁ…そっか。
「もしかして初恋…?」
針を持つ手を止めて、あっと顔を上げる。
縫物をしている間、少し昔のことを思い出していた。
そうして行き着いた答えに、思わず声が出てしまった。
ちょっと、気まずい空気を感じる。
恐る恐る視線を向けると、案の定、薬売りさんが口角を上げてこっちを見ていた。
「面白そうな話、ですね」
「面白がらないで下さい」
「さんの初恋話、ですか」
「悪いですか」
ふい、と薬売りさんから顔を逸らす。
「いえね、俺じゃあないのが、少々残念」
「一体人をいくつだと思ってるんですか」
怒ったふりをして手元の針に視線を戻す。
チクチクと着物の綻びを繕っていく。
「それで、何故今、初恋なんですか」
その言葉で、また手が止まってしまった。
顔を上げて薬売りさんを見る。
もしかしたら、情けない顔をしているかもしれない。
「…どうか、したんで」
私の変化に気付いて、薬売りさんはこちらに来てくれた。
膝がくっつくくらいに正座をして、私を気遣うような視線。
「会ったんです、初恋の相手に」
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2014/10/5