幕間第六十九巻



〜初恋〜





 刺す様に冷たい風が吹く朝。
 奉公先へと向かう道すがら。


ちゃん?」


 不意に名を呼ばれて、そちらを振り返った。
 目に入ったのは、行きかう人ごみの中で一人、微動だにせず立ち尽くしている人。
 驚いた顔をして、こちらをじっと見ている。



「え…光太郎さん?」



 その顔には、覚えがあった。
 昔、旅に出る前にいた母の生まれ故郷。
 その町で大工の棟梁の下、修業をしていた人だ。

「驚いたな、こんな所で会うなんて」

 日に焼けて、随分と精悍な顔つきになった。
 けれど、当時の面影があってすぐに分かった。

「こっちの科白ですよ。お久しぶりです」

「うん、本当に。変わらず元気そうだね」

「ふふ、それだけが取り柄ですから」

 肩を竦めると、光太郎さんは、“あぁ”と納得してくれた。

「今はこの町に?」

「いえ。旅をしていて、少しの間逗留しているだけです」

「旅?」

 少し驚いたような顔をした。

「はい」

 みんな同じような反応をするので、苦笑してしまう。


「あ、これから奉公に上がらないといけないので」

「ん、あぁ。そうだな、俺も…」


 軽く会釈をして踵を返した。


ちゃん」


 もう一度、呼び止められた。


「また、会えないかな」

 その言葉に、全身に力が入るのが分かった。

「久しぶりだし、ゆっくり話でも出来ないかな」

 そんな事を言われると、何処かで分かっていた。

「…連れに、聞いてみますね」

 曖昧な笑みで返すと、光太郎さんはまた驚いた顔をした。





 光太郎さんとは、奉公先の蕎麦屋で知り合った。
 自分が十四、光太郎さんが十五。
 年も近く、互いに大人ばかりの中で働いて、似たような境遇だったこともあって、たまに話をした。
 帰りが遅くなると、長屋の入口まで送ってもらったこともある。
 というか、周りの人たちがそうなるように仕組んでた。
 とても気のいい人たちではあったのだけど…
 光太郎さんが照れている事とか、私が困っている事とか、そんなことはあまり気にしない人たちでもあった。
 多分、私たちを夫婦にしたかったんだと思う。

 でも私は、何だかピンと来なかったし、光太郎さんは光太郎さんで修業の身。
 お酒の席で、一人前になるまで嫁は取らせないって、棟梁が言っていたのを覚えてる。

 そのうち母が亡くなって、色々あった。
 母の弔いや、今後の暮らしの目処を立てるのに、お仕事を少し休ませてもらった。
 確かその頃、光太郎さんには、棟梁の知り合いの所へ行く話がきていた。


 何があるでもなく、離れたんだと思う。

 ただ、少しだけ寂しかったのは覚えてる。




 あぁ…そっか。



「もしかして初恋…?」


 針を持つ手を止めて、あっと顔を上げる。
 縫物をしている間、少し昔のことを思い出していた。
 そうして行き着いた答えに、思わず声が出てしまった。

 ちょっと、気まずい空気を感じる。
 恐る恐る視線を向けると、案の定、薬売りさんが口角を上げてこっちを見ていた。


「面白そうな話、ですね」

「面白がらないで下さい」

さんの初恋話、ですか」

「悪いですか」

 ふい、と薬売りさんから顔を逸らす。

「いえね、俺じゃあないのが、少々残念」

「一体人をいくつだと思ってるんですか」

 怒ったふりをして手元の針に視線を戻す。
 チクチクと着物の綻びを繕っていく。

「それで、何故今、初恋なんですか」

 その言葉で、また手が止まってしまった。

 顔を上げて薬売りさんを見る。
 もしかしたら、情けない顔をしているかもしれない。

「…どうか、したんで」

 私の変化に気付いて、薬売りさんはこちらに来てくれた。
 膝がくっつくくらいに正座をして、私を気遣うような視線。


「会ったんです、初恋の相手に」
















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2014/10/5