短編
〜乙女心・壱〜





 目の前に並んだきらびやかな商品を見て、は嘆息した。
 簪や飾り紐、化粧道具の数々。
 自分には手の届かないものだと分かっていながら、それでも見入ってしまうのが年頃の娘の性だろう。

 人手が足りないと口入屋から紹介されたのは、老舗の小間物屋だった。
 店の規模もさることながら扱う品物も豊富。
 客の出入りも、奉公人も多い。
 その上この日は、月に一度の大量仕入れの日で、品物の数は数えきれないほどだった。
 は帳簿との突合作業を手伝い、その品々を目の当たりにしていた。
 その中での嘆息だった。

 店先では、裕福な家の娘たちが目を輝かせているのだろう。
 は小さく苦笑して、その品々の入った行李を持ち上げた。

 動くたびに汗が出てくる。
 額を流れていくが、両手が塞がっていてどうしようもない。
 きらびやかなものとは無縁なのが裏方だ。
 は、帰ったら真っ先に湯を浴びようと心に決めた。


さん、それを運び終えたら、こちらの荷解きを手伝ってくれるかい?」
「はい!」

 裏口の方から聞こえた声に、は大きく返事をした。

「まぁ」

 の声に驚いたのか、階段から降りてきた娘が声を上げた。
 小柄で、質のよさそうな着物を着ている。
 真夏だというのに、涼しい顔。
 色白の肌は、良家の娘の証だ。

「も、申し訳ありません。驚かせてしまいました」
「ううん、いいのよ」

 行李を下して頭を下げるに、娘は笑顔で答えた。

「こんなにお若い娘さんに、こんなに大きな荷を運ばせるなんて」

 娘は裏口の方を軽く睨む。
 裏口には検品作業を取り仕切る手代がいるのだ。

「大丈夫です、お気遣いありがとうございます」

 はもう一度丁寧に頭を下げた。



 行李を運び終えて裏口へ向かうと、荷車が三台到着していた。
 は額の汗を拭うと、よし、と気合を入れて炎天下へと飛び込んでいった。






 日が暮れ始めた頃に、漸く突合作業は終わった。
 品物は店の物置や蔵に次々と納められ、さっきまでの混雑具合が嘘のようにすっきりとしていた。

「じゃあ、これが今日の給金だから」

 手代から渡された包みを検める。

「はい、ありがとうございます」
「こっちも、助かりました。急に人手が足りなくなってしまってね」
「お役に立てて何よりです」

 は深々と礼をして、じゃあ、と店の中へ戻っていく手代を見送った。
 そうして自分も裏口から帰ろうとした。


「ねえ、貴女」

 その声に立ち止まる。
 振り返ると、店の者が住居としている家屋から、娘が顔を覗かせていた。
 さっきの娘だ。

「少し、お暇はあるかしら?」
「私…ですか?」

 こくりと頷いて、娘はを招いた。

「やっぱり」

 近づいて行ったを見て、娘は苦い顔をした。

「顔が赤いわ」
「え?」
「日焼けよ」

 それは仕方のないことだ。
 今日は外での作業もあった。
 旅の道中は笠を被っているが、屋内外を行き来する今日のような仕事の時は被ってはいられない。
 それに、日焼けなど気にしていられるほどの余裕はないのだ。

「おいでなさいな」

 娘はの手を取ると、家の中へと引きこんだ。

「あの、お家の方に叱られませんか!?」
「私は華江。貴女は?」

 の問いには答えず、娘は名乗った。

「…あ、です」
さんね。これで私たちお友達よ。だから何の問題もないわ」

 それは強引だ、とは思ったのだが、華江は嬉しそうに笑った。

「さぁ、入って」
「ここは…」

 通された部屋には、文机と鏡台があり、生活感の漂う場所だった。

「さ、ここに座って、鏡を見て」

 華江はを鏡台の前に座らせた。

「あ…」

 鏡を見たは、赤くなった自分の顔を見て眉尻を下げた。
 特に、鼻の頭が赤い。
 そういえば、少しひりひりとしている。

「ね、折角の綺麗な肌が台無しよ」
「でも」
「これを塗って寝るといいわ。何日か続ければ赤味も引くから」
「そんな、いただけませんっ」

 華江が差し出したのは、紙に包まれた粉。
 にはそれが唐の土だと分かった。
 日焼けした肌に塗るといいと、評判の粉だ。
 庶民の間でも使われているのだが、には手を出せないものだ。

「いいのよ、私には必要ないものだから」

 箱入りの自分を憐れむような顔。
 は首を横に振って断ろうとする。

「折角の器量なんだから、大事になさって」

 そんなの手を取って、包みをいくつか握らせる。
 断ることを許さない、真っ直ぐな目で、を見つめた。

「…ありがとうございます」

 困った顔でが渋々受け取ると、華江は満足そうに微笑んだ。







 宿へ戻ったは、薬売りがいないことに少しだけ安堵した。
 赤くなった顔を見られるのは恥ずかしいものだ。
 もし、薬売りが自分の顔を見てから視線を外し、隠れて笑うことがあれば哀しくて居られないだろう。
 肩を落としながら部屋に入り、湯の用意をしようと部屋の奥へと行く。
 すると、文台に書付が置いてあるのが目に入った。
 薬売りの文字だ。

「…そんな…」

 消沈したの声。
 薬売りは、商いの相手方に数日間留まるとのことらしい。
 もし良ければ、もこちらに移るようにと書いてある。

「ん…でも、それなら」

 は袂から先ほど華江からもらった包みを取り出した。
 薬売りの下へは行かず、その間に顔の赤みが引けば、この顔を薬売りに見られずに済む。
 は、うん、と頷いて、足取り軽く湯を浴びに出た。














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2013/8/25