「階段下にいた女?」
客の男たちは目を丸くする。
「何だって、旅の人がそんなこと知ってるんだい?」
「…?」
薬売りは商売をしつつ聞いた。
“神社の階段下にいた女は誰か”と。
「半年くらい前か…。あそこで若い女が死んだんだ」
「そうそう、大雪の偉く寒い夜でなぁ、あの階段から足を滑らせたんだ」
「そりゃあ…」
「去年の今頃から殆んど毎日あの丘の上の神社に姿を現してたんだが…、なぁ」
「帰り際だったって話だ」
「そう、ですか…」
「ところで薬売り、この本はいくらだい」
「そいつが、お好みで…」
「アンタの仕入れだ。アンタの好みでもあるだろ」
「…違いない」
「いや、待て。お前さんの連れはこれとは大分違うだろ」
「それはそう、ですがね」
「ま、絵と実物じゃあ比べようがねぇよな」
「…」
「ちょっと、アンタ達、聞いたかい!?」
そのやりとりを女が遮った。
駆け寄ってくるのは、男たちと同年と見える女。
男たちは持っていた本を後ろ手に隠す。
「な、何だよ、何かあったのか」
「また顔の女が出たんだってさぁ!」
薬売りは表情を変えた。
丑の刻近く。
祭りの準備と称して、酒を煽っていた男数人。
深夜の散会。
帰りの近道は神社の境内。
そこで顔の女に遭った。
そして気が付けば朝。
神社の掃除に来た村の人間に見つけられ、運ばれた。
「一人逃げてきたってやつがいるんだって」
「本当か!?」
「今まで誰も逃げた奴なんていなかったじゃねえか」
「何でも、遅れてきたって話で」
「その人は、何か見たとは、言っていませんでしたか」
「まぁ、いい男だね」
「おい」
「その顔の女、男たちの顔を覗きこんでは“違う”って言ってたらしいよ」
「無視か」
「…違う、ですか…」
再び来たのは、あの階段下。
誰も居ない。
薬売りは階段を見上げる。
見上げた先は鬱蒼と木々が生い茂る。
そして階段を上る。
朱の鳥居をくぐり、緑の中を歩く。
辺りを見回すが、何も居ない。
何も感じられない。
「どういうこと、ですかね」
溜め息のような、呟き。
土間の戸口で、野菜を洗う。
汲み上げた井戸水は、冷たい。
「悪いねぇ、さん」
「いえ、これくらいやらせてください」
こんな山間の村では、働き口がない。
やることもなく、泊り客の居ない宿の手伝いをする。
「こんな所に何の用があって来たんだい?」
「見ての通り、薬の行商です」
「あんたもかい?」
「こう見えても助手なんですよ、私」
「何言ってんのさ」
「え?」
「いい人なんだろ? あのやけに綺麗な男」
「…え〜っと…」
「一緒に旅してるぐらいなんだから」
「…はぁ…」
説明するのも面倒になるほど、聞かれてきた。
肯定するでも、否定するでもない。
「ごめんくださいな」
ゆったりとした柔らかい声。
見ると旅支度の初老の女。
小さいけれど、ふくよかな身体。
「こちらで泊めて頂けると聞いたんですけれどね」
「あぁ、はい。この村唯一の宿ですよ」
「少しの間、お願いします」
「もちろんです」
老婆を家の中に通す女将。
何処か、気になった。
「私は、ここに泊めてもらってるといいます」
桶を土間において、老婆に微笑みかける。
老婆も人の良さそうな笑みを浮かべる。
「エツと申します。お若い方とご一緒できて嬉しいです」
「こちらこそ」
「さん、年はおいくつなの?」
「え? …ご想像にお任せします」
「まだ若いのに、何言ってんだい、この子は」
笑う女たち。
「私の家の隣に住んでた娘さんと、同じ年頃かしらねぇ」
「エツさんのご家族ですか?」
「いいえ、隣に住んでただけですよ。と〜っても綺麗な子だったの」
「さんの連れも、と〜っても綺麗な人なんだよ」
「それはお目にかかってみたいものですねぇ」
「いえいえ…そんな…」
他愛のない会話。
日が傾き始める。
「そうだわ、この近くに神社はないかしら」
「あぁ、それならこの先に」
「その神社に、長い石段はあるかしら」
「えぇ、ありますよ。表と裏に」
「そこに、行かないといけないんだったわ」
「私が案内します」
「さんが?」
「その連れが、多分その辺りにいると思うんで」
伸び始めた影が、付いてくる。
ゆっくりと、田舎道を行く。
「まぁ、あの花、待宵草ね」
「ほんとですね」
「手ぶらも何だから、あれを持っていきましょうか」
「…? 手ぶら?」
「供えるものが何もないと、可哀相でしょう?」
「供えるって…」
「石段のところにね」
「あのっ」
「そこで、亡くなったって聞いたのよ」
「その話、詳しく聞かせてください!」
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2010/8/28