天気雨の夜


轆轤首〜三の幕〜






 荷物を片付ける薬売り。
 視線を移せば見慣れた娘。
 そのいくらか後ろの方に見慣れぬ老婆。
 娘は、足早に近付いてくる。


「薬売りさん!」


「…さん…?」


 行李を背負い、立ち上がる。
 急いできたのか。
 傍に来たは、少しだけ上気している。


「どうか、したんで?」
「あのお婆さん、エツさんが」


 ゆっくりと歩を進める老婆。
 薬売りの視線に笑顔で応える。


「ここで亡くなった人のことを知っているらしいんです」





 山一つ向こうの町。
 小さな茶店を営む三人の家族。
 父親、母親、そして年頃の娘。

 その隣に、エツは住んでいた。

「その娘さんはね、お紗和ちゃんといって、とても器量よしで明るい子だったよ」

 まだ紗和が小さい頃には、預かって遊んでいた。
 良く懐く、いい子だった。

 そのうち店を手伝いだした。
 店の看板娘は評判だった。

「店が忙しくなっても、アタシの事は気に掛けてくれてね」

 小さい時分は世話をした。
 年を取ってからは世話をされた。

「親には話せないことも、アタシには色々話してくれたんだ」


 しゃがみ込むエツ。
 話しながら、階段の端に花を横たえる。
 小さな背中が、更に小さくなる。


「その一つが、好いた人がいるという話だったよ」






「ねぇお婆ちゃん、聞いてくれる?」
「あら、何かしらねぇ」
「私、好きな人がいるのよ」
「おや、そんな年頃になったのね」
「私だってもう十八よ」
「そうだったねぇ」


 笑顔が零れる。


「その人もね、私のことを好きだと言ってくれたの」
「まぁ、それはよかった」
「うん、とっても嬉しかった」


 言葉とは裏腹に。
 笑顔が陰る。


「でも、父さんにも母さんにも反対されてるの。相手のご両親にも…」
「…そんな、どうして」
「相手が大店の跡継ぎなの…。それに比べて、うちはその日その日が精一杯の小さな茶店だもの」
「…お紗和ちゃん…」
「大通りの吉坂屋さんの由次さんって知ってるでしょ? …当然のことなの」
「何処かに、養女に入ることはできないのかい?」
「たかだか茶店の娘よ」


 ふと、険しい顔をする。


「だから、私達決めたの」
「…え…?」





「駆け落ちするの」





「お紗和ちゃん…!」
「何処か遠くの町で、二人で暮らそうって」
「ちょっと待って」
「ううん、決めたの」
「お紗和ちゃん…」
「これは、お婆ちゃんだから教えるの。お婆ちゃんは、いつも私の味方でいてくれたから」

 止めても無駄だと、分かった。
 そういう娘だと。
 小さい頃から知っていた。

 知っていたはずなのに…


「山向こうの村で、今度お祭りがあるらしいの」
「祭り…。そういえば、もうそんな時期だねぇ」
「その日に、その村の神社で落ち合う事にしたの」


 山を越えるのに、半日ほどはかかる。
 二人が落ち合う場所は、遠ければ遠いほどいい。
 見つかりにくい。

「本気なの?」
「本気よ」



「私、あの人のこと、好きだもの」








 合わせていた手を下ろして、老婆は階段を見上げる。

「でも、約束の日に、お相手は行かなかった…」

「…え…?」

「直前に縁談が舞い込んで。相手の家も大店でね」


 両親は、由次に有無を言わさず快諾した。
 それほどの良縁。
 その日のうちに縁談は纏り、宴会となった。


「お紗和ちゃんが死んだというのは、風の噂で聞きました」
「…エツさん…」
「長い間待って、待って…そして…」


 小さな背中が、震えた。




「命が尽きる前に、お紗和ちゃんの心は、死んでしまっていたかもしれないねぇ…」














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2010/9/5