「どう思いますか?」
「何が、ですか」
とっぷりと暮れて、辺りは闇と化した。
エツは宿に戻り、階段下にはいつもの二人。
「モノノ怪になってしまったんでしょうか」
「さぁて」
ずっと同じ場所で、待ち続けている。
紗和がくるのを。
顔の女と化した、紗和がくるのを。
「来た、ようですよ」
「…っ」
身構える薬売り。
その後ろで身体を堅くする。
ガサリと階段脇の枝を鳴らして現れたそれ。
は無意識に、薬売りの袖を掴む。
薬売りは、を庇うように片腕を伸ばす。
「あれはっ…」
息を呑む。
顔の女。
顔が宙に浮いて、ゆらゆらとしている。
無表情で、頬がこけている。
何処を見ているのか分からない目。
目の下の色濃い隈。
髪は乱れ、原型を留めてはいない。
けれど、顔だけ、という訳ではない。
長い、首。
木々の合間を縫って伸びる。
その先は何処にあるのか。
月明かりでは見つけようもない。
「これは、轆轤首…」
カチン。
「モノノ怪の、ようで」
首は踊るようにうねる。
顔は、二人に向かって突進してくる。
手を翳す薬売り。
そこに札が並ぶ。
“ぎゃあ!!”
札に激突した顔は痛みに歪む。
首がたわんで波打つ。
それが治まると、じっと二人を睨む。
否。
薬売りを睨む。
“違う…”
そして首は引き返していく。
「さんは、ここに」
「え!?」
「後を、追います」
「薬売りさん…!」
薬売りは階段を駆け上がって行った。
小さくなっていく薬売り。
はその後姿を見上げる。
不安げに。
暫く、息をする事も忘れていた。
遠くで蛙が鳴いて、驚いて我に返る。
「…」
辺りは薄い闇。
月明かりだけでは、頼りない。
闇とは、何だったか。
「ダメよ…」
考えてはいけない。
ふるふると頭を振る。
思い出しそうなものを、かき消す。
そして無理矢理考える。
“違う”とは。
顔の女は、間違いなく紗和なのだろう。
そして彼女は、何かを求めている。
それは…。
不意に、丘の上の方が、白く光った。
ほんの一瞬。
「…何…?」
背筋を、汗が伝う。
行くべきか。
薬売りには、ここにいろと言われた。
けれど。
不安になる。
何があったのか。
本当は、心配など必要ないのかもしれない。
けれど。
心配で仕方がない。
思えば、旅を始めてから。
モノノ怪に対峙しているとき、離れた事はなかった。
傍に居ない事。
こんなにも不安でたまらない。
は、丘の上を睨んだ。
そして視線を落とす。
足元の、一段目に。
駆け出したを止めるものなど、何もなかった。
「薬売りさん!!」
階段を登りきると同時に叫ぶ。
木々に囲まれた寂しい場所。
暗くて良く見えない。
昨日来た時には、村の人々で賑わっていた。
息が上がって暑い。
なのに少しの寒気。
無音の境内。
視線があちこちに移る。
ここも、闇ばかりだ。
「下にいろと、言ったはず、ですがね」
右側、少し遠くから声がした。
すぐさま其方に視線を向ける。
木の陰から何かが出てきた。
うっすらと、見慣れた色が動く。
「…薬売りさん…!」
思わず、駆け出した。
近付いて分かる。
着物の裾や袖の先が汚れている。
「薬売りさん、大丈夫ですか…? さっきの光は」
「下にいろと、言ったはずです」
堅い声色。
同じ科白。
「でも…」
「何故、来たんで」
「何故って…」
「俺は、危険だから来るなと、言ったつもり、だったんですがね」
いつもの口調。
けれど、責められている。
何故、怒っているのか。
これまでモノノ怪と対峙してきた。
薬売りと一緒に。
守ってくれると、言った。
言ったのに。
「…ごめんなさい…」
安堵とともに、心が痛んだ。
「さっきの光は、俺が作ったものです」
宿へ戻る道すがら。
薬売りが漸く答えた。
「そうですか…」
抑揚の無い声。
「首ばかり長くて、身体は、見当たりませんでしたよ」
「そうですか…」
「さん」
「…」
「さん」
「…なんでしょうか」
「何故境内まで来たんで」
は立ち止まる。
薬売りも、立ち止まる。
「危険だと、知っていたでしょう」
は薬売りを真っ直ぐに見る。
眉間に皺が寄る。
何か、堪えている。
「知ってます。でも、今更です」
声が震える。
「これまでだって、何度もモノノ怪に遭ってきたのに」
肩が強張る。
「今更“危険だから来るな”と言うんですか…?」
頬が染まる。
「いつでも守れる距離に、傍に居ろと言ったのは、薬売りさんじゃないですか!」
言い捨てて、駆け出すつもりで足を踏み出した。
けれど。
腕を、掴まれた。
ガクンと身体が揺れる。
そのまま、時が止まる。
「そう、でしたね」
背後の薬売りの気配が動く。
二人の距離が詰まる。
腕を掴む力が、弱まる。
「俺は、貴女を、守りたかったんですよ…。危険から、遠ざけたかった…」
だからこそ、下に残した。
けれど、それは“守る”ことへの怠慢。
薬売りは、の手を放す。
「わかって、くれますか」
「…はい」
はそっと薬売りに半身を向ける。
俯いたまま。
小さく呟く。
「心配だったんです。だから、境内まで行きました」
モノノ怪に対峙するときは、いつも隣に居たから。
「それに…」
「それに…?」
「やっぱり、闇は嫌いです。…わかってくれますか」
「…はい」
「一人にして、すみません、でしたね」
「いえ…」
また二人、並んで歩き出す。
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2010/9/19