天気雨の夜


轆轤首〜四の幕〜






「どう思いますか?」
「何が、ですか」


 とっぷりと暮れて、辺りは闇と化した。
 エツは宿に戻り、階段下にはいつもの二人。


「モノノ怪になってしまったんでしょうか」
「さぁて」


 ずっと同じ場所で、待ち続けている。
 紗和がくるのを。

 顔の女と化した、紗和がくるのを。





「来た、ようですよ」
「…っ」

 身構える薬売り。
 その後ろで身体を堅くする

 ガサリと階段脇の枝を鳴らして現れたそれ。

 は無意識に、薬売りの袖を掴む。
 薬売りは、を庇うように片腕を伸ばす。

「あれはっ…」

 息を呑む。


 顔の女。
 顔が宙に浮いて、ゆらゆらとしている。
 無表情で、頬がこけている。
 何処を見ているのか分からない目。
 目の下の色濃い隈。
 髪は乱れ、原型を留めてはいない。
 けれど、顔だけ、という訳ではない。


 長い、首。


 木々の合間を縫って伸びる。
 その先は何処にあるのか。
 月明かりでは見つけようもない。


「これは、轆轤首…」


 カチン。


「モノノ怪の、ようで」


 首は踊るようにうねる。
 顔は、二人に向かって突進してくる。

 手を翳す薬売り。
 そこに札が並ぶ。


“ぎゃあ!!”


 札に激突した顔は痛みに歪む。
 首がたわんで波打つ。
 それが治まると、じっと二人を睨む。
 否。
 薬売りを睨む。


“違う…”


 そして首は引き返していく。


さんは、ここに」
「え!?」
「後を、追います」
「薬売りさん…!」


 薬売りは階段を駆け上がって行った。


 小さくなっていく薬売り。
 はその後姿を見上げる。
 不安げに。


 暫く、息をする事も忘れていた。


 遠くで蛙が鳴いて、驚いて我に返る。

「…」

 辺りは薄い闇。
 月明かりだけでは、頼りない。




 闇とは、何だったか。




「ダメよ…」


 考えてはいけない。
 ふるふると頭を振る。
 思い出しそうなものを、かき消す。

 そして無理矢理考える。
 “違う”とは。

 顔の女は、間違いなく紗和なのだろう。
 そして彼女は、何かを求めている。

 それは…。

 不意に、丘の上の方が、白く光った。
 ほんの一瞬。


「…何…?」


 背筋を、汗が伝う。


 行くべきか。


 薬売りには、ここにいろと言われた。
 けれど。
 不安になる。
 何があったのか。

 本当は、心配など必要ないのかもしれない。
 けれど。
 心配で仕方がない。

 思えば、旅を始めてから。
 モノノ怪に対峙しているとき、離れた事はなかった。

 傍に居ない事。
 こんなにも不安でたまらない。





 は、丘の上を睨んだ。
 そして視線を落とす。
 足元の、一段目に。

 駆け出したを止めるものなど、何もなかった。






「薬売りさん!!」


 階段を登りきると同時に叫ぶ。
 木々に囲まれた寂しい場所。
 暗くて良く見えない。
 昨日来た時には、村の人々で賑わっていた。

 息が上がって暑い。
 なのに少しの寒気。


 無音の境内。
 視線があちこちに移る。


 ここも、闇ばかりだ。




「下にいろと、言ったはず、ですがね」




 右側、少し遠くから声がした。
 すぐさま其方に視線を向ける。
 木の陰から何かが出てきた。
 うっすらと、見慣れた色が動く。


「…薬売りさん…!」




 思わず、駆け出した。


 近付いて分かる。
 着物の裾や袖の先が汚れている。


「薬売りさん、大丈夫ですか…? さっきの光は」


「下にいろと、言ったはずです」


 堅い声色。
 同じ科白。


「でも…」
「何故、来たんで」
「何故って…」
「俺は、危険だから来るなと、言ったつもり、だったんですがね」


 いつもの口調。
 けれど、責められている。

 何故、怒っているのか。

 これまでモノノ怪と対峙してきた。
 薬売りと一緒に。

 守ってくれると、言った。

 言ったのに。




「…ごめんなさい…」




 安堵とともに、心が痛んだ。












「さっきの光は、俺が作ったものです」

 宿へ戻る道すがら。
 薬売りが漸く答えた。


「そうですか…」


 抑揚の無い声。


「首ばかり長くて、身体は、見当たりませんでしたよ」
「そうですか…」
さん」
「…」
さん」
「…なんでしょうか」
「何故境内まで来たんで」


 は立ち止まる。
 薬売りも、立ち止まる。


「危険だと、知っていたでしょう」


 は薬売りを真っ直ぐに見る。
 眉間に皺が寄る。
 何か、堪えている。


「知ってます。でも、今更です」
 声が震える。
「これまでだって、何度もモノノ怪に遭ってきたのに」
 肩が強張る。
「今更“危険だから来るな”と言うんですか…?」
 頬が染まる。
「いつでも守れる距離に、傍に居ろと言ったのは、薬売りさんじゃないですか!」



 言い捨てて、駆け出すつもりで足を踏み出した。
 けれど。

 腕を、掴まれた。

 ガクンと身体が揺れる。

 そのまま、時が止まる。



「そう、でしたね」



 背後の薬売りの気配が動く。
 二人の距離が詰まる。
 腕を掴む力が、弱まる。


「俺は、貴女を、守りたかったんですよ…。危険から、遠ざけたかった…」
 だからこそ、下に残した。
 けれど、それは“守る”ことへの怠慢。
 薬売りは、の手を放す。
「わかって、くれますか」
「…はい」

 はそっと薬売りに半身を向ける。
 俯いたまま。
 小さく呟く。

「心配だったんです。だから、境内まで行きました」
 モノノ怪に対峙するときは、いつも隣に居たから。
「それに…」
「それに…?」
「やっぱり、闇は嫌いです。…わかってくれますか」
「…はい」



「一人にして、すみません、でしたね」
「いえ…」



 また二人、並んで歩き出す。

















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2010/9/19