この神社は、小さな町の南の山にある。
その町に、の両親は住んでいた。
父親、貴市はこの土地の生まれで、周りからの評判のいい好青年で、この町の誰もがそうであるように信心深かった。
母親、和花は離れた村から奉公に出ていた、よく働く器量よしの娘だった。
二人は稲荷を訪れる事が多く、そこで何度も顔を合わせた。
初めのうちは、この前も居た、と思うくらいだった。
それが何度か顔を合わせるうちに挨拶をするようになり、そのうち立ち止まって話をするようになった。
やがて待ち合わせて参拝するようになった。
「ワシが縁を結んでやったんじゃ」
狐が得意げに言った。
そしてそれが当たり前の事であるかのように、二人は所帯を持った。
貴市は大工の棟梁の下で働き、和花も外に出て働き続けた。
所帯を持った後も、二人は待ち合わせて稲荷へと足を運んだ。
願っていたのは、いつも相手の幸せばかり。
「聞いてやるこっちが恥ずかしいくらいじゃったわ」
呆れたような声で、狐はおどけて見せた。
暫くして子を授かった。
和花が身重で参拝が難しくなると、貴市が毎日一人で稲荷に来ては安産祈願をして帰っていく、そんな日々だった。
「ワシは、安産は専門外なんじゃがの」
ふっと笑う。
「美男美女で評判じゃったから、皆期待しておったが」
目を細めてを見る狐。
「…ご期待に添えずすみませんでしたね…」
は口を尖らせる。
ますます目を細める狐と、クツクツと笑う薬売り。
それが何を意味するかは、敢えて触れないが。
やがて生まれた子は元気な女の子だった。
と名づけられ、大切に育てられた。
和花が動けるようになると、三人で稲荷を訪れ、願い事は、二人の幸せから三人の幸せへと変わった。
優しく穏やかな母と、働き者で子煩悩な父。幸せを絵に描いた様な、そんな家族だった。
「…じゃが、ある日二人は気付いた」
急に、狐が声を落とした。
「え…?」
稲荷で開かれた祭りの夜のことだった。
賑やかな祭囃子が響き、人々が行き交う門前町。
二人はもちろんを連れてやってきた。
初めて見る祭りの風景に、あちこちに目を向けてははしゃぐ。
腕の中で落ち着かないに手を焼く貴市と、それを楽しそうに見つめる和花。
境内への階段を上る頃には、ははしゃぎ疲れて寝息を立てていた。
そうして、階段を上りきり、境内へと入っていく。
それと同時に、境内で大きな太鼓の音が響いた。
そこに居た全ての人の視線が太鼓に集まる。
大人も子供も、誰も彼も。
続いて絶え間なく太鼓が連打される。
その音に驚いたのか、近くで幼子が泣き始めてしまった。
慌ててその子をあやす母親。
ひとしきり泣いたその子は、太鼓の音が小さくなった頃に漸く泣き止んだ。
そしてその母親は、和花に微笑んだ。
「大人しくて良い子ですね」
は、あの大きな太鼓の音にも、目を覚まさず眠り続けていた―。
「?」
呼びかけても反応がないのは、まだそれが自分のことだと分かっていないからだと思っていた。
音の出るおもちゃを差し出しても興味を示さなかったのは、単に気に入らないだけだからだと思っていた。
大きな物音がしても驚かなかったのは、幼くとも肝が据わっているからだと思っていた。
否。
思いたかった。
「こりゃあ…聞こえてませんな」
それが医者の診断だった。
「わ…たし…」
の顔は、青ざめていた。
「耳が…」
狐は、無言で頷いた。
隣でじっと話を聞いていた薬売りも、今度ばかりは驚きの表情を見せた。
「そんな…」
掠れた声だった。
「何人もの医者に診せたが、それは変わらぬ事実じゃった」
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多分後で沢山言い訳というか
申し開きをすると思います…
2011/10/9