天気雨の夜

〜四の幕〜





「和花は、貴市の葬式を終えると暫くしてこの町を出た」

 が落ち着きを取り戻した頃、狐は再び語りだした。

 貴市との思い出が詰まった町に居るのが、辛くなったのだ。
 貴市が自害したという噂が広まって、居辛くなったのも確かだろう。

 和花はを連れて実家へ戻った。

「出発の前にもここを訪れてな…礼を言っておった。恨み辛みを言われても、礼を言われるような事だけは、ワシはしてはおらんのに…」

 寂しそうな目で、狐は呟いた。

「でも、母はいつも笑ってたから」

「貴市の願いどおり、幸せじゃったか」

 は静かに頷いた。
 過去形ということは、この狐はの母が死んだことを知っているのだ。


「そうか…」


 狐が安堵したように見えた。




「疲れてはおらんか。長旅の上に徹夜のモノノ怪退治じゃったからの」

 暫くの沈黙の後、狐が言った。
 言われては、酷く身体がだるい事に気が付いた。
 泣いたせいもあって、頭も痛いような気がする。


「宿を、探してきます」

 薬売りは立ち上がると、扉の方へ向かった。

「そうじゃな、生憎ここには布団も人が食うものもおいとらん」

 狐は、それまでの空気を振り払うように、油揚げくらいじゃ、とおどけてみせた。
 その言葉に、はふっと体の力を抜いた。

「私も行きます」

 狐に、また来ます、と頭を下げる。
 そして薬売りの後を追って、も社を出て行こうとする。





「はい…?」


 扉の手前で狐はを呼び止めた。


「…」


 再び、険しい顔をする狐。


「あの…?」


 呼び止めておきながら何も言わない狐を、は怪訝な目で見る。
 早く言ってくれないと、薬売りを見失ってしまう。
 そう思って境内の方をちらりと見遣る。
 薬売りは、が着いて来ない事に気付いたのか、境内の真ん中で足を止めて、こちらを窺うように見ていた。

 はそれに安堵したけれど、理由も言わず待たせるのも悪い気がしてならなかった。



「…はい」

「もしお前が、その力のせいで辛い思いをしているなら…」
「…」

「その力を取り去る事も出来るぞ」
「え?」

「もちろん、聴力はそのままに」
「それって…」

「普通の女子になるんじゃ」
「普通の、女子…?」

「さっき言っていたな。その力があるからこそ、自分は自分だったと。しかし、もっと幸せに生きることも、考えてはみんか」
「幸せって…」

「お前の両親が望んでいたことじゃ」
「父さんと、母さん」

「すぐに決めろとは言わん。しかし、考える価値のない話ではないじゃろう?」
「…」

「決心がついたら、またここを訪ねてくれ」









「何の話、だったんで」
「いえ」


 遅れてきたの様子がおかしい事は、薬売りにも目に見えて分かった。
 尋ねても答えない事も、もちろん分かっていた。
 けれど、聞かずには居れなかった。

「ただ、自分の幸せを考えろと」
「幸せ、ですか」
「両親が願った事だから、と」
「そう、ですか」

 賑わう町の様子を眺めながら、二人はその端の方を歩いた。
 こうして並んで歩くのは、久しぶりかもしれない。

「薬売りさん、この町にはどのくらい…」
「いつものように、四日ほど、ですか。すみませんが、いくら貴女の恩人が居るからといって、長居する気は、ありません」
「そうですよね。分かりました」

 何処か陰のあるの様子に、薬売りはただ黙っている事しか出来なかった。

「あの」
「何ですか」
「今回は部屋を別にしてもらってもいいですか? …考えたいことがあるので」
「分かりました」



それから暫く、薬売りがの姿を見ることはなかった。










 その力を取り去る事も出来るぞ。
 そう言われて、靡かない事もなかった。

 普通の女子になるんじゃ。
 憧れない事もなかった。



 ぼんやりと暗い空を眺めながら、は溜め息をついた。
 部屋には自分ひとり。
 明かりも点けずに窓際に座り込んでいる。


 この世ならざるものの声が聞こえる。
 その力のために、色々な想いをしてきた。
 けれど、いくら考えても、やはり同じ答えに辿り着く。


 この力があってよかった、という答え。




「もう、決まってるんだよ…」




 自分がどうしたいかなど、考えずとも初めから答えは出ていた。
 それを無理に考えて、けれど考えれば考えるほど、自分の気持ちが強いものだと分かる。



 決まっているはずなのに、弱弱しい声が漏れた。



 自信がないのは、この力のことではない。



 あの人が、どう思っているのか。
 には、それが分からなかった。















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2011/10/23