「和花は、貴市の葬式を終えると暫くしてこの町を出た」
が落ち着きを取り戻した頃、狐は再び語りだした。
貴市との思い出が詰まった町に居るのが、辛くなったのだ。
貴市が自害したという噂が広まって、居辛くなったのも確かだろう。
和花はを連れて実家へ戻った。
「出発の前にもここを訪れてな…礼を言っておった。恨み辛みを言われても、礼を言われるような事だけは、ワシはしてはおらんのに…」
寂しそうな目で、狐は呟いた。
「でも、母はいつも笑ってたから」
「貴市の願いどおり、幸せじゃったか」
は静かに頷いた。
過去形ということは、この狐はの母が死んだことを知っているのだ。
「そうか…」
狐が安堵したように見えた。
「疲れてはおらんか。長旅の上に徹夜のモノノ怪退治じゃったからの」
暫くの沈黙の後、狐が言った。
言われては、酷く身体がだるい事に気が付いた。
泣いたせいもあって、頭も痛いような気がする。
「宿を、探してきます」
薬売りは立ち上がると、扉の方へ向かった。
「そうじゃな、生憎ここには布団も人が食うものもおいとらん」
狐は、それまでの空気を振り払うように、油揚げくらいじゃ、とおどけてみせた。
その言葉に、はふっと体の力を抜いた。
「私も行きます」
狐に、また来ます、と頭を下げる。
そして薬売りの後を追って、も社を出て行こうとする。
「」
「はい…?」
扉の手前で狐はを呼び止めた。
「…」
再び、険しい顔をする狐。
「あの…?」
呼び止めておきながら何も言わない狐を、は怪訝な目で見る。
早く言ってくれないと、薬売りを見失ってしまう。
そう思って境内の方をちらりと見遣る。
薬売りは、が着いて来ない事に気付いたのか、境内の真ん中で足を止めて、こちらを窺うように見ていた。
はそれに安堵したけれど、理由も言わず待たせるのも悪い気がしてならなかった。
「」
「…はい」
「もしお前が、その力のせいで辛い思いをしているなら…」
「…」
「その力を取り去る事も出来るぞ」
「え?」
「もちろん、聴力はそのままに」
「それって…」
「普通の女子になるんじゃ」
「普通の、女子…?」
「さっき言っていたな。その力があるからこそ、自分は自分だったと。しかし、もっと幸せに生きることも、考えてはみんか」
「幸せって…」
「お前の両親が望んでいたことじゃ」
「父さんと、母さん」
「すぐに決めろとは言わん。しかし、考える価値のない話ではないじゃろう?」
「…」
「決心がついたら、またここを訪ねてくれ」
「何の話、だったんで」
「いえ」
遅れてきたの様子がおかしい事は、薬売りにも目に見えて分かった。
尋ねても答えない事も、もちろん分かっていた。
けれど、聞かずには居れなかった。
「ただ、自分の幸せを考えろと」
「幸せ、ですか」
「両親が願った事だから、と」
「そう、ですか」
賑わう町の様子を眺めながら、二人はその端の方を歩いた。
こうして並んで歩くのは、久しぶりかもしれない。
「薬売りさん、この町にはどのくらい…」
「いつものように、四日ほど、ですか。すみませんが、いくら貴女の恩人が居るからといって、長居する気は、ありません」
「そうですよね。分かりました」
何処か陰のあるの様子に、薬売りはただ黙っている事しか出来なかった。
「あの」
「何ですか」
「今回は部屋を別にしてもらってもいいですか? …考えたいことがあるので」
「分かりました」
それから暫く、薬売りがの姿を見ることはなかった。
その力を取り去る事も出来るぞ。
そう言われて、靡かない事もなかった。
普通の女子になるんじゃ。
憧れない事もなかった。
ぼんやりと暗い空を眺めながら、は溜め息をついた。
部屋には自分ひとり。
明かりも点けずに窓際に座り込んでいる。
この世ならざるものの声が聞こえる。
その力のために、色々な想いをしてきた。
けれど、いくら考えても、やはり同じ答えに辿り着く。
この力があってよかった、という答え。
「もう、決まってるんだよ…」
自分がどうしたいかなど、考えずとも初めから答えは出ていた。
それを無理に考えて、けれど考えれば考えるほど、自分の気持ちが強いものだと分かる。
決まっているはずなのに、弱弱しい声が漏れた。
自信がないのは、この力のことではない。
あの人が、どう思っているのか。
には、それが分からなかった。
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2011/10/23