薬売りと一緒に居るためには、力を手放してはいけない。
好意で治してやると言っているのを、無駄にする事になるけれど、今の自分にはなくてはならないものなのだ。
例え、薬売りの傍に居るために利用しているのだとしても。
「私は、ずるい…?」
「いいや」
溜め息混じりのその返事に、は再び苦笑する。
「でも…薬売りさんがどう思ってるのか…」
ここに来る前、薬売りに話した。
力を取り去ることが出来ると言われたと。
けれど、薬売りはがどうするつもりか聞くことはなかった。
聞けなかったのか、それとも聞かなかったのか。
「薬売りさんにとって私の存在が何なのか、分からない」
始めはもちろん力が必要だと言った。
けれど、一緒に旅をして距離が近付いて、恋人や夫婦のふりまでするようになった。
怖いだろうと同じ部屋に泊まって、守ってくれると約束した。
かけてくれる言葉は優しくて、薬売りがしてくれること全てが嬉しかった。
色恋沙汰は面倒だと言った割に、手馴れていて不審に思うほどに。
もしかしたら、少しでも自分を想ってくれているのではないかと、思ってしまうくらいに。
「でもそれは、完璧な私の思い違いで」
薬売りは、何度か辛そうな顔を見せることがあった。
意識してを見ないようにしていることにも、気づいていた。
それはきっと、拒絶を意味している。
以前に薬売りは自分を責めるようなことを言っていたけれど、それはきっとに対して何も言い出せないことを責めていたのだ。
もう付いてくるなと、言い出せない自分を。
そうして、極めつけは先の野狐のときのこと。
甘い声を出す菊の隣には、薬売りが居た。
そういうことだ。
「私は、結局邪魔者でしかなかった…」
始めはモノノ怪退治に使えると思って同行させた。
確かに、条件を揃えるためには役に立った。
旅に誘ったものの責任として、モノノ怪と闘う術を持たないを守ってくれもした。
けれど、次第にそれに嫌気が差した。
いつまでこの娘を庇護して歩かなければいけないのか。
いつまで自分は我慢し続けるのか。
根は優しい薬売りのことだ、それでもに対する態度を急に変える事は出来なかったのだろう。
「私は、薬売りさんを縛ってる…。きっと、一緒に居ても迷惑なの」
傍に居たいと、思っているのに。
狐は怪訝そうな顔をした。
本当に、そうなのか、と。
自分が二人の事を見た僅かの時間では、少なくとも薬売りは、この妙に弱気な娘を嫌っているだとか、そんな素振りは見て取れなかった。
これでも長い間ずっと人の世を見てきた。
人を見る目に自信があるとは言わないが、見る目がないとも思わない。
好きでもない奴と長いこと一緒に旅が出来るなどというのは、並の精神ではない。
寧ろ、異常だろう。
「」
柔らかい尻尾が、の足を軽く叩いた。
は狐を見下ろした。
真一文字に結んだ口が、涙を堪えているのだと気付かせる。
「それを本人に確かめた事はあるか」
「え?」
「本人に、お前の気持ちを伝えた事はあるか」
「それは…」
そんなことは、出来なかった。
「この気持ちは薬売りさんには気付かれない方がいいの」
「何故じゃ」
「だって、薬売りさんは色恋沙汰を鬱陶しがってて…。それに、薬売りさんは私が薬売りさんのことを尊敬してると思ってる。そんな人間が、本当は自分の事が好きで、だから傍にいたいと思ってるなんて知ったら…きっとうんざりする」
もちろん、それはの中にも前提としてある。
自分の出来ない事をしている薬売りを、心から尊敬しているのは確かなことだ。
「だからそれを、本人に確かめたのか。あやつの口から、あやつの言葉で聞いたのか」
「…」
「それもしないで、勝手に迷って落ち込んでおるのか、お前は」
「…だって…薬売りさんは、本音を言ってはくれないもの…」
ますます弱気になっていく。
狐は溜め息まじりに頭を垂れた。
それから、強い声で言い放った。
「あの男が本音を言わんのは、お前も本音を言わないからじゃないのか」
狐の言葉の意味が、一瞬理解らなかった。
は目を瞬かせて、それから問うような視線を狐に向けた。
「“好き”だから“要らないと言われるまで傍に居る”。それがお前の本音じゃないのか」
言われないと分からんのか、と狐は尻尾での足を叩いた。
確かにそれは自分の、間違いなく本心だ。
けれど、それを薬売りに伝えられる勇気はない。
は眉根を寄せた。
「言ってやればいい。お前が本音をぶつければ、いくら奴でも真面目に聞くじゃろう」
「繻雫…」
「…明日、発つんじゃろう? 奴と一緒に」
狐はこくりと頷くに、今度は優しく言ってやった。
「今となっては、お前はワシの娘も同然じゃ。いつでも力を貸そう、背中を押そう。その代わりな…自分の信じた道を歩け。お前が信じる者と共に」
「私の信じた道、信じる者…」
「そうじゃ」
は目を伏せて、噛み締めるようにその言葉を反芻した。
そうして、もう一度目を開けたときには穏やかな顔をしていた。
「…薬売りさん…」
呟くと、何故か鼻の奥がツンとした。
湧き上がってくる気持ちが、溢れそうだ。
けれどそれを押し留めて、ゆっくりと息を吐いた。
それから、屈みこんで狐と視線を合わせる。
「ありがとう、繻雫」
「なんの。娘のようなもんだと言っておる」
「狐の娘なんて、変なの」
くすりと笑むと、は狐の首に両腕を回して抱きしめた。
「困ったときは、いつでも名を呼べ」
「…?」
「助けに行く。この前のようにな」
「…うん…」
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2011/11/6