藍が目を開けると同時に、その光景は消えていった。
「結局私は、何も出来なかったけれど…」
藍は視線を落として、自嘲気味に笑う。
「そんな…。だったらどうして姫様の命を狙う必要があるんですか?」
「もう、人質の必要がないから」
の問いに淡々と答える藍が痛々しい。
「それって…」
「深月家…私の実家は殿山に襲われ、没落したの」
信じられない、とは呟いた。
「祝言を挙げてすぐ、私はこの別邸に押し込められ、ほぼ軟禁状態で過ごしてきた。そして、私の耳に入らないよう深月を手に掛け、今の私は殿山にとって邪魔者でしかなくなったのよ」
「一つ、分からないんですがね。…黒装束を着た種田様は、何故貴女の命を、狙うんで。そして家臣たちは、何故貴女を守るんで」
腕組みをしながら、薬売りは藍に尋ねた。
藍は顔を上げ、薬売りを見据えた。
「それこそ、猿芝居よ。黒装束を深月家の人間だと思わせ、深月家が私を取り戻そうと攻めて来た。そう思わせたいの」
「そうして貴女を連れ出して、その途中で殺める算段と」
「その通りよ」
「でも、姫様は、さっき深月家は没落したと仰いました」
は意味が分からないというふうに言った。
「殿山は、私が知らないと思っているだけ。誰も教えてはいないと」
「それを教えたのは、種田様…」
「察しが良い方ですね」
藍はふっと笑った。
「種田は、私を恐れると同時に憐れんでいる。腫れ物に触るように接して、何を言わなくても深月の情報を流してくれました」
深月家がなくなったなどという情報は要らなかったのに、と藍は小さく呟いた。
「…種田様が…」
種田の行動の意味が、には分からなかった。
殿山の家臣であり、藍の側近でもある。
「あの、二匹の犬にも、心当たりがおありで」
薬売りが、鋭い視線を投げかけた。
「やはり、察しの良い方。…あれは深月の家臣が飼っていた犬です。ここ最近、私に危険が及ぶと、何処からか現れて助けてくれるの」
何処か懐かしむ笑みを浮かべ、その声色は優しい。
「なるほど、これで合点がいった」
口角を上げる薬売りに対し、は未だに全てを飲み込めては居ないようだ。眉間に皺を寄せている。
そんなを、薬売りは目を細めて楽しそうに眺めていた。
「藍!!!!!!!!!」
突然、叫び声と共に、大仰に木戸が開く音がした。
足音を立てて真っ白な障子を開けたのは、十四郎だった。
その形相は、明らかに憤慨している。
カッと開いた目には、そこに薬売りとがいるのには見向きもせず、ただ真っ直ぐに藍を睨みつけた。
「義父上、如何なさいましたか」
平然とそれを受け止める藍。
「“如何なさいました”だと!? 白々しい! あの犬はお前が差し向けたんだろう!!」
怒鳴りつける十四郎。
その後ろには困ったような顔の種田がいる。
「十四郎様…、いくらなんでもそれは…」
「ええい、煩い! 耀介があの犬どもに噛み付かれたのだぞ!」
「ほう…」
十四郎の言葉を聞いて、薬売りは静かに立ち上がった。
はそれを見上げる。
薬売りは、に手を差し出すと、行きますよ、と言って立ち上がらせた。
「薬売りさん?」
を引き寄せてから、薬売りは藍たちの方を振り返った。
「犬は未だ、屋敷の中に」
その問いに、種田が頷く。
「中庭に突然現れ、そこにいた耀介様の足に食い付いて離れないのだ」
「そう、ですか。では俺達も、中庭に行くとしましょうか」
部屋を出て行く二人に視線が集まる。
「中庭に行って、何をしようというの」
藍が、今まで見た事もない不安そうな顔で薬売りに聞いた。
「モノノ怪は、斬らねばなりませんから、ね」
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2012/2/12