天気雨の夜



右近左近
〜五の幕〜





 中庭では、蹲る耀介を何人かの家臣が介抱しているところだった。
「触るな! 痛いじゃないか!!」
「しかし、手当てなさいませんと」
 脹脛から夥しい量の血が流れている。
 その血を止めようとする家臣に悪態を付いて、耀介はジタバタと暴れる。
 十四郎と種田は耀介の元に向かい、落ち着かせようとする。
 それを遠巻きに眺める藍の顔は無表情だ。
「くそ! 早くあの犬どもを探し出せ!」
「探さずとも、寄って来ますよ」
 激昂する殿山の者とは対照的な声。
 薬売りが、左手の指先に天秤を乗せて立っていた。
 薬売りたちを含め、その場に居る者全てが、天秤の輪の中に入っていた。
 天秤を指先から放つと、天秤は輪の中で一箇所だけ空いた場所にすとんと落ちて、それで輪は完成した。
「貴様、何を…」
 チリン、と天秤が一斉に傾く。
「ほぅら」
 薬売りが視線を向けた先、大きな石灯籠の影からゆっくりと二匹の犬が姿を現した。
 柴犬混じりの毛並みと、小さな身体。大人しくしていれば、愛らしいくらいだろう。
 二匹は身体を低くして、いつでも飛び掛かれる体勢をとる。
 薬売りは右手に持った退魔の剣を構える。

「…」

「姫様!?」

 その二匹を見た藍は、前に進み出た。
 天秤を避けてその輪から出ようとする。
「…行かせてください」
「あれは、モノノ怪、ですよ」
 薬売りが横に並び、退魔の剣で制止する。
「姫様…」
 その後ろから、が藍の袖を引く。
「あの二匹が何をしようとしているのか、私には分かります。そして、私にはそれを止めるつもりはない…」
 静かに、藍は言った。

「私の全てを奪ったこの家の者達を、私は許せない…!」

 震える藍の背中が、には痛々しく見えた。

「…知っていたか…」

 十四郎が、その背中を見据えていた。

「そうと知っていたら、疾うに手を打っていたものを」

“キャン! キャンキャン!!”

 二匹の犬はけたたましい鳴き声を上げる。
 その鳴き声が生み出す衝撃波が、皆を襲う。


 薬売りは咄嗟に札を並べて結界とし、その衝撃を受け止めた。

「この犬どもは、一体何だと言うんだ…!」
 両腕で顔を庇いながら、十四郎は苛立ちを露わにする。

「…この犬たちは、確かに深月の手のもの、ですよ。ただし、モノノ怪、ですがね」
「モノノ怪だと!?」
「この世、ならざるもの。人の心が生み出すもの…」

 牙を剥き出しにした二匹は、恐れもせずに結界に突っ込んでくる。
 小さな身体で、けれどその衝撃は相当なものだ。
 二匹の身体が結界に当たる度に、大きく火花が散る。

「アンタ方は、余程の恨みを買っている、ってぇ事ですよ」
「ふん、そんなものは知らん!」

 十四郎が口を開く度に、結界に受ける衝撃が増す。
 犬たちの身を切るような攻撃に、薬売りの顔が険しくなっていく。
 けたたましい咆哮が共振して、更に追い討ちをかける。

 その様子を、はもどかしい思いで見つめていた。
 一人でモノノ怪の攻撃を受け止める薬売り。
 爪の先まで力を込めて、一つの気も抜けない戦い。

 何か、突破口を見つけなければ。
 は引き止めたままの藍に問いかけた。

「姫様、モノノ怪を斬るには、“形”と“真”、“理”が必要なんです! 何か…」
「…斬る? 私には、あの子たちを斬らせる事は出来ません…」
 藍は二匹を見つめたままそう答えた。
「皆が死んでしまってもいいんですか!?」
 その言葉に、藍の瞳が揺らぐ。
「私は殿山に大切な人達を殺されました…」
「だからって、殺していい道理なんてありません」
 藍は、俯いて首を横に振る。


「あの子たちに、人殺しをさせていいんですか!?」



 その言葉に、藍の表情が険しくなる。




“俺達が、引き取りましょう”

“この二匹は責任を持って俺達が面倒を見る”



 の胸の奥に、低く穏やかな声が流れ込んできた。




 そして更に、聞こえてくる。



“きょうや? しょうや?”

“私が、莢矢にございます”



 幼い少女の声と、さっきよりも僅かに高い声。




“私はお嫁に行って、中から殿山を変えてみせるんだから!”

“言ったな”


 明らかな藍の声と、さっきと良く似ているのに何処か軽い響きの声。




 これは藍の記憶なのだと、は思った―。

















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2012/2/19

2012/2/26修正