中庭では、蹲る耀介を何人かの家臣が介抱しているところだった。
「触るな! 痛いじゃないか!!」
「しかし、手当てなさいませんと」
脹脛から夥しい量の血が流れている。
その血を止めようとする家臣に悪態を付いて、耀介はジタバタと暴れる。
十四郎と種田は耀介の元に向かい、落ち着かせようとする。
それを遠巻きに眺める藍の顔は無表情だ。
「くそ! 早くあの犬どもを探し出せ!」
「探さずとも、寄って来ますよ」
激昂する殿山の者とは対照的な声。
薬売りが、左手の指先に天秤を乗せて立っていた。
薬売りたちを含め、その場に居る者全てが、天秤の輪の中に入っていた。
天秤を指先から放つと、天秤は輪の中で一箇所だけ空いた場所にすとんと落ちて、それで輪は完成した。
「貴様、何を…」
チリン、と天秤が一斉に傾く。
「ほぅら」
薬売りが視線を向けた先、大きな石灯籠の影からゆっくりと二匹の犬が姿を現した。
柴犬混じりの毛並みと、小さな身体。大人しくしていれば、愛らしいくらいだろう。
二匹は身体を低くして、いつでも飛び掛かれる体勢をとる。
薬売りは右手に持った退魔の剣を構える。
「…」
「姫様!?」
その二匹を見た藍は、前に進み出た。
天秤を避けてその輪から出ようとする。
「…行かせてください」
「あれは、モノノ怪、ですよ」
薬売りが横に並び、退魔の剣で制止する。
「姫様…」
その後ろから、が藍の袖を引く。
「あの二匹が何をしようとしているのか、私には分かります。そして、私にはそれを止めるつもりはない…」
静かに、藍は言った。
「私の全てを奪ったこの家の者達を、私は許せない…!」
震える藍の背中が、には痛々しく見えた。
「…知っていたか…」
十四郎が、その背中を見据えていた。
「そうと知っていたら、疾うに手を打っていたものを」
“キャン! キャンキャン!!”
二匹の犬はけたたましい鳴き声を上げる。
その鳴き声が生み出す衝撃波が、皆を襲う。
薬売りは咄嗟に札を並べて結界とし、その衝撃を受け止めた。
「この犬どもは、一体何だと言うんだ…!」
両腕で顔を庇いながら、十四郎は苛立ちを露わにする。
「…この犬たちは、確かに深月の手のもの、ですよ。ただし、モノノ怪、ですがね」
「モノノ怪だと!?」
「この世、ならざるもの。人の心が生み出すもの…」
牙を剥き出しにした二匹は、恐れもせずに結界に突っ込んでくる。
小さな身体で、けれどその衝撃は相当なものだ。
二匹の身体が結界に当たる度に、大きく火花が散る。
「アンタ方は、余程の恨みを買っている、ってぇ事ですよ」
「ふん、そんなものは知らん!」
十四郎が口を開く度に、結界に受ける衝撃が増す。
犬たちの身を切るような攻撃に、薬売りの顔が険しくなっていく。
けたたましい咆哮が共振して、更に追い討ちをかける。
その様子を、はもどかしい思いで見つめていた。
一人でモノノ怪の攻撃を受け止める薬売り。
爪の先まで力を込めて、一つの気も抜けない戦い。
何か、突破口を見つけなければ。
は引き止めたままの藍に問いかけた。
「姫様、モノノ怪を斬るには、“形”と“真”、“理”が必要なんです! 何か…」
「…斬る? 私には、あの子たちを斬らせる事は出来ません…」
藍は二匹を見つめたままそう答えた。
「皆が死んでしまってもいいんですか!?」
その言葉に、藍の瞳が揺らぐ。
「私は殿山に大切な人達を殺されました…」
「だからって、殺していい道理なんてありません」
藍は、俯いて首を横に振る。
「あの子たちに、人殺しをさせていいんですか!?」
その言葉に、藍の表情が険しくなる。
“俺達が、引き取りましょう”
“この二匹は責任を持って俺達が面倒を見る”
の胸の奥に、低く穏やかな声が流れ込んできた。
そして更に、聞こえてくる。
“きょうや? しょうや?”
“私が、莢矢にございます”
幼い少女の声と、さっきよりも僅かに高い声。
“私はお嫁に行って、中から殿山を変えてみせるんだから!”
“言ったな”
明らかな藍の声と、さっきと良く似ているのに何処か軽い響きの声。
これは藍の記憶なのだと、は思った―。
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2012/2/19
2012/2/26修正