「姫様!!」
藍の姿を見つけたのは、屋敷裏の断崖だった。
白い着物を着て、ふらふらと力なく崖に向かっていく藍。
その背に、は必死に声を掛けた。
追いついてきた薬売りは、それをの背後から黙って見つめていた。
「戻ってください!」
の呼びかけにも、藍は振り返らない。
藍を引き止めようと、駆け出そうとしたとき。
「来ないで」
そう、聞こえた。
「分かっていたでしょう?」
「でも…」
「これでいいの」
崖の先に着いた藍は両手を天に向かって伸ばした。
その先に、二つの影が現れる。
やがて、それが人へと変わる。
それは、良く似た二人の青年だった。
“姫…”
その声は、屋敷に入ってから何度も聞いた声だった。
低く、穏やかな声。
「莢矢、菖矢…」
涙声の藍。
“姫…”
「ごめんなさい。変えられなかった。貴方達を守れなかった」
“それは、俺達も同じだ”
答えたのは、少し軽い声だった。
「もう…いい?」
穏やかな声の方の青年が頷く。
“姫”
「莢矢」
藍が手を伸ばすと、莢矢と呼ばれた方がその手を取った。
もう一人―菖矢―は、それを満足そうに見つめている。
「姫様…」
は、無性に泣きたくなった。
「薬売りさん、さん、ありがとう…」
「え…?」
「皆の死を知った時から、生きることは皆を守れなかった罰だと思ってた。あの牢のような屋敷で、一人殺されるのを待つ。それも罰だと」
に背を向けたまま、藍は話し続けた。
「右近と左近が現れたとき、莢矢と菖矢の気配を感じたの。二人が私を守りに来てくれたって。でも、こんな私を守ってくれなくていいって思った」
“姫…”
莢矢が哀しげな眼差しを向ける。
「でも、それと同時に殿山を許せない気持ちが湧いてきたの。…だから、あの子達をモノノ怪にしてしまったのは、私の心でもある」
「姫様…」
は、藍の諦めにも似た心の内を、初めから感じ取っていた。
彼女は、限りなくこの世ならざるものに近い、生霊とでも言うのだろうか。そんな存在だった。
藍は、薬売りとに向き直ると、微笑んだ。
「そんな私の心諸共、斬ってくれてありがとう」
「この世に、留まる理由を絶ってくれて、ありがとう、ですか」
薬売りは、胡乱げな眼差しで藍と、二人の青年を眺めていた。
「そうとも言うわね。でも、それでいいの」
「姫様」
「ここには私の居場所はないから…」
「ダメ…」
「ありがとう」
藍が、足を踏み出した。
踵を返して―。
不意に、後ろから抱きしめられたかと思うと、視界が真っ暗になった。
そのお陰で、は藍の最期を見ずに済んだ。
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2012/3/4