天気雨の夜

野孤〜四の幕〜








さん!?」





 聞きなれた声の、聞きなれない絶叫を聞いて、薬売りは立ち上がった。
 整理の途中だった荷物を荒々しく行李に詰め込んで背負う。

 何故、離れてしまったのだろう。
 いつもすぐ傍にいて、離れるときは天秤や札を与えた。
 それなのに、今夜に限って。
 この家には何かあると、初めから分かっていたはずなのに。

 薬売りは力任せに障子を開けて、廊下へと出た。
 けれど―。

「薬売りさん、どちらへ?」

 部屋を出るとすぐに、菊が立っていた。
 口元に妖しげな笑みを浮かべている。
「いえね、連れのことが、気になりまして」
 薬売りも口角を上げ、同じような笑みを作る。
「そうですか」
 菊は薬売りの行く手を阻むかのように両手を広げる。
 それと同時に、菊の足元に三匹の狐が現れた。
「さぞ、ご心配でしょうね。…でも、行かせる訳にはいきませんわ」
 ニヤリと笑うと、狐が薬売り目掛けて駆け出した。
 足元、胸、頭上。
 三匹が別々の方向から迫ってくる。
 薬売りは素早く札を放った。
 廊下の床から天井までに整列した札は、それ以上の狐の接近を許さない。
 狐達は何度札に阻まれても向かってくる。

「ここに来る人間は皆、食ろうてやるわ!」

 そう言うと自らも薬売り目掛け襲い掛かってきた。
 その手には、長く伸びた爪が光っている。

「くっ…!」

 薬売りの声に反応して、整列した札の色が濃くなる。
 それに激突した狐達は、勢いよく跳ね飛ばされていく。
 菊は長い爪で札を破ろうとするが、思うようにはいかない。
 けれど、妖しい笑みはそのままで、口を開いた。


「こうしている間に、あの娘…食われているかもねぇ」

「何…?」

「念のため、あの娘にも一匹差し向けたけれど、どうやら無用だったようね」

 薬売りは苦い顔をする。

「あの娘には、何の力もないのね。簡単に術に嵌ってくれたし」

「…さんに、何をした」

「大したことはしてないから、安心なさい。ほんの少し不安を煽っただけだから」



 薬売りは激昂した。



「ハァッッ!!」



 退魔の剣を取り出し、正面に掲げると気合の声を上げた。

 整列していた札が一斉に動き出す。
 するすると滑るように移動しながら、四つに分かれた。
 そしてそれぞれが、菊と狐の回りを囲もうとした。


「何!?」


 菊はその場を離れようとしたが、札の動きが速く足を絡め取られた。
 そうして札が素早く菊の周りを取り囲む。
 狐達も同じように札の中に囚われた。

 いつもは模様が外を向いて、外敵からの結界になっている札が、今回ばかりは内側を向いて、敵の動きを封じにかかっているのだ。

 狐たちは取り払おうと札に体当たりを試みたが、触れたところから火花が散り、火傷のような傷を受けた。

「貴様…」

「そこで、大人しくしていて、もらいますよ」

 薬売りはそう言い捨てて、札に囲まれた菊の横を走り去っていった。







 とはいえ、術者が近くにいなければ、結界は次第に弱まっていく。
 早くの元へ行かなければと、薬売りは珍しく焦った。


 何故、傍にいなかった。
 何故、距離を置いてしまった。


 きつく噛み締めるのは後悔。


 全て、自分が悪い。


 守ると約束したのに。
 いや、約束したからではない。
 自分が、守りたいと思ったのだ。


 守りたい。
 傍にいたい。
 傍に置きたい。






 他の誰にも、渡したくない。






「…俺も存外、我侭な人間なようで…」





 走りながら自嘲して、角を曲がった。



















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ちょっと短め?



2011/8/14