天気雨の夜

野狐〜大詰め〜









「余所者が!」

「どこの公家の妾か知らねぇが、こんな裕福な暮らししやがって」

「どうせ捨てられたんだろ!」

「都じゃあ肩身が狭いってもんだろ」

「何のしがらみもない俺達が、さぞ羨ましいだろうにな」

「狐なんか手懐けて畑荒らしやがって」

「俺達がどんな思いして畑耕してきたか、想像もつかねぇだろうよ」

「何の不自由もなく暮らしてきたんだもんなぁ!」




 田舎に住むものの、都に住んでいた者への嫉妬だったのかもしれない。


 元々この村は結束が強く、余所者を嫌う傾向があった。
 そこへ、いかにも金持ちという風の女がやってきた。
 二人の侍女付きで、毎日色の違う綺麗な着物を身に纏っていた。
 女は大人しく村の片隅で暮らしていたが、逆にそれが村の者たちの鼻についた。

 様々な憶測が飛び交う。

 都落ちした貴族の娘。

 どこぞの金持ちの妾。

 確かに、垣間見た女はそれはそれは端正な容姿をしていて、どれも有り得る。
 それに加えて、数ヶ月に一度、大きな籠に揺られて誰かが尋ねてきている。それも決まって夜半に訪れ、夜半に去っていく。


 それが誰なのか、女が何者なのか、分からないまま月日は過ぎた。
 そのうち、女を訪ねるものはいなくなった。


 また様々な憶測が飛び交う。


 籠の主は死んだのだろう。

 ならば、そのうち娘も姿を見せるようになるかもしれない。

 頼るべき後見がいなくなって、この村に頼るしかなくなったのだから。

 その美しい姿を、見られる日がくるかもしれない…。



 けれど、一向に女は姿を見せなかった。
 それどころか、誰も出入りしていないはずなのに、生活に困る事がまったくなかったのだ。
 たまに侍女が出かけて食糧を調達してくるものの、その元手が何処から来るのか検討も付かなかった。



 あそこには、莫大な金がある。



 そう、噂されるようになった。









 いくらかの月日が経って、村の畑が荒らされるようになった。

 収穫間近の作物がかじられたり、取られたりするのだ。
 手塩にかけて育てた作物。
 村の人々は犯人探しの為に、交代で見張りを立てることにした。

 それから数日後、畑に入っていく数匹の狐が目撃された。
 まだ仔狐で、母親は見当たらない。
 それならば、と村人達は多少多目に見てやった。
 親が居なければ、子供達は無力で、自力で食糧を手に入れる事が出来ない。

 そんな良心からだった。

 けれど、ある時村人は見てしまった。

 作物を口に咥えたままの狐たちが、あの女の家へと入っていくのを。



 それから村人達は疑惑の眼差しでその家を見張り始めた。

 何日かに一度、狐達は作物を持ってその家に入っていって、何も持たずに出てくる。
 きっとそこに置いていっているのだ。

 よくよく見れば、近頃侍女が買いだしに行く頻度が減ったような気がする。
 買出しに出た侍女が、持ち帰ってくる食材の量も以前と比べて少ない。



 村人達は、確信した。



 一方的に―。












 押入れから、恐る恐る出てきたのは仔狐だった。
 あの、一匹だけ生き残った仔狐。

 仔狐は畳の上に横たわる女の傍までやってくると、その顔に自分の顔を摺り寄せた。
 鮮やかなはずの着物は埃に汚れ、艶やかな髪は無惨に散らばっていた。

「だい、じょうぶ…よ」

 女は狐を撫でようとしたが、手は動かなかった。
 体中傷だらけで、呼吸も大分浅かった。

 元々病床に伏していた上に、村人たちから受けた暴力。

 身動きの取れなくなった女は、次第に弱っていった。
 そうして、数日後に亡くなった。


 女が最後に口にした言葉。


 それは穏やかで清楚だった女が、彼女の人生の中で、最初で最後に抱いた憎しみの感情だった。





 残されたのは仔狐一匹と、莫大な金があるという噂だけ―。













 が目を開けると、薬売りの青が見えた。
 顔を上げると、薬売りと目が合う。

 薬売りが、の両手に包まれた左手を静かに解く。
 そしてそのままの手を握った。


「早くせんか!」


 呆れたような声が聞こえて、薬売りは手を解いた。
 そうして、剣を翳す。



「“真”と“理”によって、剣を、解き、放つ!!」














“私が何をしたと言うの?”


“私はただ、療養の為にこの村に来て、静かに暮らしていただけ”


 菊の声が聞こえてくる。


“お医者様からも見離されて、もう、長くなかった…”


“あの狐達の成長が、ささやかな楽しみだった”


“作物のことも、ちゃんと叱ったわ”





“それなのに…こんな”





 泣き崩れる菊の姿があった。
 は、その肩を抱きしめた。


「村の人は、不安だったのよ」


 静かに、宥めるように言う。


「貴女が、何も言ってくれないから」


 突然村にやって来て、誰もが羨むような暮らしをして。
 挨拶にも来なければ、呼ばれることもなかった。

 何処から来た誰で、こういう事情がある。

 簡単にでも伝えておけば、こんなことにはならなかったかもしれない。


 不安が不信へ、羨望が嫉妬へと変わった。




さん」


 菊の後ろに、金色の薬売りが立っていた。
 長い髪を金の空間に漂わせている。

 風もないのに不思議なものだと、は思った。


「お願いします」


 は立ち上がると、菊から離れた。
 それと同時に、金の空間から色褪せた部屋に戻っていた。


 は、何とはなしに襖に目を向ける。
 色褪せた川の流れの中で、四匹の仔狐が川遊びをしていた。
 一通りじゃれてから動きを止めて、のほうを見てくる。
 それからお座りの姿勢をすると、すっと襖から消えていった。

 最後に聞こえたのは、狐の鳴く声だった。






「お前に、礼を言っておった」


「え?」


 振り返ると、黄金色の狐。
 更に、元に戻った薬売り。こちらは少々警戒している。


「あの女を助けて欲しかったんじゃろうな。これだけ食ったんだからの」


 狐は鼻先を下に向ける。
 釣られても足元を見る。

 そこには数え切れないほどの人骨が横たわっていた。



















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次回漸く幕引きです。





2011/9/11
震災から半年ですね。