天気雨の夜

座敷童子〜二の幕〜








 用心深い…。


 薬売りの部屋の前。
  廊下に天秤が置いてある。
 お仕事中の天秤は、が居ても微動だにしない。


「薬売りさん、です。いいですか?」
「どうぞ」
 障子を開けると、酷い散らかりようだった。
 更に、少しばかり臭う。
「…何事ですか?」
 薬売りの周りにはいくつもの包みが広げてある。
 小包ではない。材料そのものが入っている袋だ。
 その行李の何処に、そんなに沢山入っているのか不思議なほどに。
「少々、材料が多いもんで」
「はぁ」
「産後には、きゅう帰調血飲がいいかと」
「はぁ」
「十三種類ほど、生薬が必要で…」
 独り言のように呟きながら、順番に量を見ていく。
「それで、あとどの位かかりますか?」
 部屋に入れないまま聞く。
「…?」
「女中さんに聞かれたんです。薬売りさんが怪し過ぎて近寄れないからって」
 クスリと笑う。
「それは、それは…」
 薬売りも、口角を上げる。
「あとはこれを煮出して、小半刻、といったところですよ」
「煮出すなら土間に預けてきますか? 女中さん、土間に居るそうなので」
「そう、ですね」
 薬売りは、生薬を合わせた包みをに差し出す。
 はそれを受け取ると、チラリと薬売りを覗き見た。
「何ですか」
「えっと…」
 は躊躇うように言葉を濁らせる。
「どうか、したんで」
「あの、ここにはモノノ怪がいるんですか?」
 この店の入り口で、薬売りは何かを感じていた。
 廊下には天秤。
 薬売りがモノノ怪の気配を感じていることは確かだ。
 の問いに、薬売りは目を細める。
「今日は、聞こえないんで?」
「はい。…なのでお役に立てそうにないです」
 不安そうに笑う
「そういう時も、ありますよ」









 何だかんだ言って、やっぱり優しい人だ。


 雲の途切れない夜空を、は眺めていた。
 梅雨独特の鬱陶しさは、風呂を上がってもなくならない。
 それなのに、肌寒さを感じるのは、ここにモノノ怪がいるからだろうか。
 モノノ怪がいるのなら、何故声が聞こえないのだろうか。


 もしかしたら、聞こえなくなってしまったのかもしれない。


 ふと、不安が過ぎる。
 モノノ怪が何も言っていないのではなくて、本当は何か言っているのに聞こえていないのかもしれない。
 現に薬売りは、気配を感じている。

「そんなこと…」

 不安を打ち消そうとするが、その声は弱い。

「だって、この店に入る前は聞こえてた」

 薄っすらと。
 けれど…。
 本当はもっと大きな声だったのかもしれない。
 徐々に、聞こえなくなっていたのかもしれない。

「そんなことない」

 目を瞑って振り払う。


 思えば、何故この力が自分にあるのか分からない。
 物心ついた頃から、自然と聞こえていた。
 それが無くなるなんて、考えたことも無い。

「違う、無くなってなんかない!」

 両手に力が入る。



「おねえちゃん?」



 小さな、怯えたような声がした。
 見れば、庭の暗闇からあの子が姿を現した。

「こんな時間にどうしたの?」
 宵も五つを回る。子どもはとうに寝ていてもおかしくない時間だ。
 目を丸くするの隣に、女の子は腰を掛ける。
「だれも、一緒にいてくれないの」
 しょんぼりと俯くその子が、不憫でならない。
 この家には両親も居て、住み込みの奉公人だって何人も居るのに、誰もこの子の傍に居てくれないというのだ。
「そっか。じゃあ今夜は私が一緒に寝てあげる」
 が微笑むと、女の子は嬉しそうに笑った。
 本当に、可愛らしい。
「あ、そうだ。お手玉、縫っておいたよ」
 は立ち上がると、部屋に入って鏡台の上に置いてあったお手玉を差し出す。
 ててて、と駆け寄ってくる女の子は無邪気な笑顔をしていて、は思わず髪を撫でていた。

 その手に、女の子はそっと自分の手を重ねてきた。

「どうしたの?」
「…いい子?」
 上目遣いでを見るその目が、とても綺麗だった。
「うん、いい子だよ」
 頬を染めて喜んでいる。
 余程、寂しかったのだろうか。
 何故だか切なくなって、はその小さな身体を抱き締めた。

「さ、もう遅いから寝ようね」
 ひとしきり頭を撫でてから、は女の子を放した。
 布団に入ると、いくらも経たないうちに女の子は寝てしまった。
 その寝顔を眺めているうちに、も眠りに落ちた。















 薬売りは、一人廊下を歩いていた。
 床に就く前に一度、彩の様子を聞いておきたかった。
  しかし、家の者が見当たらず、仕方なく取り次ぎなしに彩の部屋の近くまで来た。

「…じゃない」

 部屋の手前で、薬売りは足を止める。
 部屋の中から、彩の声が聞こえる。
 声を低くしてはいるが、この距離ならば聞こえる。

「いやいや、何処をどう見ても俺には似ていないよ」
「でも…」

 この声、若松屋の声ではない。
 どちらかと言えば…。

「でも、禄郎? この目鼻立ち…」

 そう、番頭の禄郎。
 薬売りは鋭い視線で部屋の方を睨む。
 具合が悪いという割りに、しっかりとした口調だ。

「思い過ごしだ、しっかりしろ」
「もし、もしもよ、大きくなったこの子が旦那様に似ていないなんてことになったら…」
「似ていない親子なんて五万といるだろうに」
「でも…」
「彩」

 薬売りは口角を上げつつ、その場を去った。
 どうやらここには、モノノ怪のほかにも、事情があるようだ。




 暗い廊下を歩いていると、何か気配を感じた。
 振り返るが、真っ暗な廊下が続いているだけ。
「何でしょうね」
 ポツリと呟いた声は、闇に溶ける。

 モノノ怪の気配はするものの、これと言って変わったことは無い。
 あると言えば多分、あの彩という女の体調が悪いということくらいだろう。
 それも、怪しいものだが。

 薬売りは自分の部屋へ帰るために、に宛てられた部屋の前を通る。
 はもう、床に就いているのだろう。
 灯りも消え、起きている気配もなかった。
「おっと、忘れていました」
 そういえば、の部屋に札を貼っていなかった。
 もちろん、天秤を渡すことも。

 静かに札を取り出すと、の部屋の障子に一枚、貼り付ける。
「…?」
 貼った瞬間、中の気配が変わったような気がした。
「気のせい、か?」
 僅かに首を傾げながら、薬売りは部屋に戻った。
















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2010/3/28