#1




 ルカの町はその日、いつもより賑わっていた。
 年に一度開かれる、ブリッツボールの大会があるからだ。
 ブリッツボールは、スピラに住む人すべての楽しみであり、夢と希望。
 召喚士の次に注目を浴びるものだ。
 それに、ルカをホームに持つブリッツのチームの連覇がかかっている。
 ルカの住人は、それだけで応援に力が入る。
 ほんの数日前に村をシンに襲われたポルト=キーリカの選手にとっては、弔い合戦にもなるだろう。
 その上、今年はエボン寺院の頂点に立つマイカ総老師の在位五十年を記念する大会なのだ。
 そのマイカ総老師本人がベベルから観戦に来ている。
 そんな理由から、例年よりルカを訪れる人の数も、エボンの僧兵も討伐隊の数も相当多かった。

 スタジアムの歓声は、居住区まで届いていた。
 一際歓声が高くなった時、とうとう開幕したのだと分かった。
 居住区は、人が少なく閑散としている。
 皆、ブリッツを見に行っているのだ。
 チケットが手に入らなかった人や、事情があって見に行けなかった人が残ってはいるが、皆総じてそわそわとしている。

 そんな浮足立った町の空気には染まらない、一軒の店があった。
 居住区の外れに建つ、古い家。
 それに少し手を加えただけで、一見すると店とは分からない。
 入口の上に辛うじて店の名前が読み取れる。
 OLD NOTES――。
 そこが彼女の棲家だった。



「あと五日だからな」
「分かってる」

 少々迫るような男の声に、動じることのない女の声。

「先月みたく、分割なんてしないからな」
「分かってる」

 やや語気が強くなる男の声に対し、変わりのない女の声。

「…ホントに、大丈夫なのかよ」

 ため息とともに、若い男はガクリと項垂れる。
 カウンターに両手をついて、背中を丸くする。
 黒髪短髪に、はっきりとした顔立ち。上背はあるが、少々線は細いかもしれない。
 けれど、すれ違った女の半分くらいは振り返るだろう。
 男は顔を上げると、カウンター越しに座る女に視線を向けた。

「大丈夫だって」

 女は問題にもしない、というように、本を読んでいる。
 会話の間、いや、男が来る前からずっと、本を読んでいる。
 カウンターの内側に一段低く設けられた作業スペースに肘をついて。
 女も若かった。
 栗色の緩く波打つ髪に、白い肌。細身の身体にゆったりとした衣服を纏っている。
 くっきりとした二重瞼の下の鳶色の瞳は、今も文字を追いかけている。

「だって、今月の売り上げいくらだよ?」
「それは言えないよ」
「売上ゼロか? ゼロなのか!?」
「そうそう売れるものじゃないでしょ、古書なんて」

 はぁ、と男と似たようなため息を吐くと同時に、女は漸く本を閉じた。
 そうして、鳶色の瞳が男を見上げる。
 真っ直ぐで、強気な目。

「それは、そうだけど。じゃあどうしてくれるんだよ、今月の家賃」
「心配しないで、ゼス。店が本業だとは思ってないから」
「なっ!? じゃあどうやって稼いでるんだよ。…って、まさか」

 ゼスと呼ばれた男は、目を見開いた。
 女はそれが気に入らなかったようで、ふん、とそっぽを向いた。

、まさかお前、討伐隊に…!?」

 前のめりになって女―を覗き込むゼス。

「近い」
「ぅぐっ」

 は顔を顰めて片手でゼスの顔面を押し返す。

「ちょっと手伝っただけだって」
「ちょっとって」
「街道で何か始めるんでしょ? それに必要なものを何回か届けただけ」
「だけ、って。それだけで家賃払えるくらいの報酬だったのか?」
「数か月分をね」
「な!?」

 ゼスの顔に焦りが見える。
 この家は、大きくて部屋数がある。
 町外れだが、ルカの町が良く見渡せる良い場所にある。
 古さを差し引いても、この辺では高い部類に入るだろう。
 そこに女一人で住んで、これだけの数の古書を集めて、それでいて生活をして家賃を払う。
 余程危険な仕事をしたのだと想像できる。

「ねぇ、ゼス。分かってると思うけど、アタシはここに住み始めるまで一人で旅をしてきたし、その前は僧兵になるべく訓練を受けた人間なの。その辺の“女の子”と一緒にしないでくれる?」
「それは、分かってるんだけどさ…」

 急にしゅんとするゼスを、横目でチラリと盗み見る


「危険なことは、するなよ…」
「だって、毎月毎月家賃を迫ってくるのは貴方でしょ。もちろん、迫ってこなくても払うべきものは払うわ。でも、それだけじゃなく、生きるためよ」

 古書を売ったところで、誰も見向きもしない。
 この世界に住む人の目に入る読み物は、すべて寺院に検閲されたもの。
 寺院のいいように書かれている。
 が扱う古書は、まだ検閲が緩かった時代に流通したものや、検閲を運よくすり抜けてしまったもの。そして、先人たちの私的な記録の写しだ。
 そういうものに、人々は関心を示さない。
 何故なら、人々の一大事はシンであり、信じるべきものはエボンの教えなのだ。
 それ以外のことは、在っても無いに等しかった。

 本が売れないことは、店を開く前から分かっていた。
 古書店と言っても、表向きはただの中古の本屋。
 要らなくなった本を買い取って、必要な人に格安で譲る。
 けれど実のところ、あまり需要はない。
 そのほかに、大きな声では言えないが、検閲を逃れた古書も扱っている、ということだ。
 その古書を求めて店を訪ねるのは、せいぜいと同じような収集家くらいだ。
 皆、寺院から隠れて古書を収集している。
 何故隠れるのかと言うと、古書の中には寺院にとって都合の悪いことが書かれていることもあるからだ。そんなものの存在が知れれば、取り上げられ処分された挙句、自分の身も危うい。
 だから収集家たちは、水面下でやりとりをしている。
 もその中の一人だった。

 本が売れなければ、他に仕事を見つけて生計を立てるしかない。
 危険だろうが何だろうが、出来ることはやるしかない。

「何かあったら、どうするんだよ」
「その時はその時よ」

 あっさりとそう答え、何処か達観したような

「それじゃあ、俺が困るんだ…」
「…え?」

 難しい顔をしてを見るゼス。
 は僅かに首を傾げる。


「なぁ、。そんなことやめて、俺の嫁さんになってくれよ」


「な…」


 今度はが目を見開いて、何か言おうとした時だった。




 ドォォォン―――。




 盛大な爆発音とともに、地響きが起こった。
 家がミシミシ鳴って、店の中の本がいくつか床に落ちた。

 そうして、聞こえてきたのは人々の歓声ではなく、悲鳴だった。













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2015/4/26