きっと姫は、断らないだろう。
いや、家のためだと言って、寧ろ喜んで乗り込んでいくだろう。
「俺は、そんな事の為に姫を育ててきたんじゃない…」
部屋に戻ると、自然と口に出していた。
暗い部屋に、この先の姫の行く末には闇しかないのだと言われているようだ。
「…菖矢…」
廊下から兄貴の声がした。
背後から聞こえるその声が、いつもの兄貴の声じゃないことくらいすぐに分かった。
「だってそうだろう? 十年も大切に見守ってきたのは、人質にするためじゃない。何処に出しても恥ずかしくないように、夫となる人の支えとなって家を守れるように。俺達は、そのために今まで…!」
「菖矢!」
「姫の為に生きてきた俺達が、姫を犠牲にして生き延びるって、一体どういうことだよ!? そんなんじゃあ、生きてる意味なんて…ないじゃないか!!」
「菖矢!!」
後ろから、右肩を思い切り掴まれた。
急な衝撃で、身体が大きく揺れた。
暫くの間、そのまま時が止まっていた。
「兄貴…っ」
「言うな、菖矢…」
「いや、言わせてくれ!」
「菖矢」
「俺は、悔しいんだ!」
どうして姫なんだ。
よりによって、俺達が仕えた、俺達の大切な。
「悔しい…」
握り締めた拳の感覚が、次第に薄れていく。
「悔しいんだよ!!」
肩にかかる兄貴の手を振り払った。
そうして、兄貴に向き直る。
「兄貴だってそうだろ!?」
いや、俺よりも、兄貴の方が悔しいに決まってる。
「はっきり言えよ! 俺のほうが悔しいって!!」
あぁ、きっと、俺もこんな顔してるんだ。
振り返って見た兄貴の顔は、そのまま俺の顔だ。
居た堪れなくて、遣る瀬無くて、怒りを何処にも向けられなくて、悔しくて。
そんな気持ちが全部、その顔に表れてた。
「…あぁ、言ってやるよ…」
暗くても、よく分かる。
「悔しくて仕方ない」
兄貴の目に浮かんだもの。
「どうして姫なんだ」
その僅かな粒。
「どうして俺じゃ、姫を幸せに出来ない…!」
兄貴の涙を見たのは、いつ以来だろう―。
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2012/2/12