冬新様に丁重に頭を下げて、俺達は姫を連れ出した。
屋敷の裏に広がる神社の敷地に入って、森の中の泉を目指した。
「…残念ね」
その道中、姫が呟いた。
そう、折角の月は、雲に隠れてしまっている。
空を見上げると、月のある辺りがぼんやりと明るくなっている。
「そのうち雲が切れるかもしれません」
兄貴は振り返って優しく宥める。
足元を照らすために兄貴は姫の前を、背中を守るために俺は後ろを歩いた。
「そうね、まだ分からないわね」
兄貴の言葉に、姫が頷く。
傍から見てると、もう手を取っちまえよ、と言いたくなる位似合いの二人だ。
けれど今は何も言わないでおく。
俺がするべき事は、それじゃない。
暫く歩いて、泉のほとりに着いた。
澄んだ水面には、やはり月を隠す雲しか映っていない。
月が出るのをひたすら待った。
姫も、兄貴も、俺も、何も言わないで、ただ並んで。
「ねぇ、覚えてる?」
不意に姫が言った。
「蛍が見たいといってここに連れて来てもらったの」
両隣に居る俺達を交互に見上げた顔は、悪戯っぽく笑っていた。
「もちろん、覚えていますよ」
「忘れろって言う方が無理だな」
姫が泉に落ちて、俺達もずぶ濡れになりながら姫を助けた。
「…楽しかった」
右手に、何かが触れていた。
見れば、姫が俺の手を握っていて、反対の手では兄貴の左手を握っていた。
「ずっと、楽しかった」
胸が、苦しくなった。
本当に、いってしまうんだと。
俺達の、妹。
「二人のお陰よ」
俺は何も言えなかった。
それは兄貴も同じだった。
ただ、姫の小さな手を、握り返す事しかできなかった。
暫くそうしていると、不意に空が明るくなった。
「見て」
姫が、嬉しそうに声を上げた。
雲が千切れて、月が姿を現す。
真ん丸の月が、輝いている。
泉にそれが映って、二つの月が俺達を照らした。
「全く、もったいぶりやがって」
俺は小さく悪態をつくと、一歩前に出て二人に言った。
「俺はこの辺で戻らないと」
「え?」
「お前、何言って」
二人揃って目を丸くする。
「予想外に月が出てくれないから、約束に遅れるところだった」
「お前、もしかして」
あぁ。
最初からそのつもりだったさ。
「後は頼んだ、兄貴」
「おいっ」
「ちょっと、菖矢!?」
手に力を入れて引き止める姫。
困惑する顔が、少しばかり赤くなっている。
姫の手をしっかりと取って、俺は何年ぶりかの言葉遣いをした。
「姫、菖矢はいつでも、姫の味方にございます故、姫の為になると思ったことを致したまでです」
「菖矢…」
次第に目を潤ませていく姫の頭を撫でて、それから兄貴を見た。
「後で、説明してもらうぞ」
「あぁ、後でな」
そうして俺は、その場を後にした。
それからの事は、俺も知らない―。
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2012/2/26