第十四夜




 冬新様に丁重に頭を下げて、俺達は姫を連れ出した。
 屋敷の裏に広がる神社の敷地に入って、森の中の泉を目指した。

「…残念ね」

 その道中、姫が呟いた。


 そう、折角の月は、雲に隠れてしまっている。
 空を見上げると、月のある辺りがぼんやりと明るくなっている。

「そのうち雲が切れるかもしれません」

 兄貴は振り返って優しく宥める。
 足元を照らすために兄貴は姫の前を、背中を守るために俺は後ろを歩いた。

「そうね、まだ分からないわね」

 兄貴の言葉に、姫が頷く。

 傍から見てると、もう手を取っちまえよ、と言いたくなる位似合いの二人だ。
 けれど今は何も言わないでおく。
 俺がするべき事は、それじゃない。


 暫く歩いて、泉のほとりに着いた。
 澄んだ水面には、やはり月を隠す雲しか映っていない。

 月が出るのをひたすら待った。
 姫も、兄貴も、俺も、何も言わないで、ただ並んで。

「ねぇ、覚えてる?」

 不意に姫が言った。

「蛍が見たいといってここに連れて来てもらったの」

 両隣に居る俺達を交互に見上げた顔は、悪戯っぽく笑っていた。

「もちろん、覚えていますよ」
「忘れろって言う方が無理だな」

 姫が泉に落ちて、俺達もずぶ濡れになりながら姫を助けた。

「…楽しかった」

 右手に、何かが触れていた。
 見れば、姫が俺の手を握っていて、反対の手では兄貴の左手を握っていた。


「ずっと、楽しかった」


 胸が、苦しくなった。
 本当に、いってしまうんだと。

 俺達の、妹。


「二人のお陰よ」


 俺は何も言えなかった。
 それは兄貴も同じだった。
 ただ、姫の小さな手を、握り返す事しかできなかった。







 暫くそうしていると、不意に空が明るくなった。


「見て」


 姫が、嬉しそうに声を上げた。



 雲が千切れて、月が姿を現す。



 真ん丸の月が、輝いている。

 泉にそれが映って、二つの月が俺達を照らした。



「全く、もったいぶりやがって」



 俺は小さく悪態をつくと、一歩前に出て二人に言った。



「俺はこの辺で戻らないと」



「え?」
「お前、何言って」



 二人揃って目を丸くする。



「予想外に月が出てくれないから、約束に遅れるところだった」
「お前、もしかして」



 あぁ。
 最初からそのつもりだったさ。


「後は頼んだ、兄貴」
「おいっ」
「ちょっと、菖矢!?」


 手に力を入れて引き止める姫。
 困惑する顔が、少しばかり赤くなっている。


 姫の手をしっかりと取って、俺は何年ぶりかの言葉遣いをした。


「姫、菖矢はいつでも、姫の味方にございます故、姫の為になると思ったことを致したまでです」


「菖矢…」


 次第に目を潤ませていく姫の頭を撫でて、それから兄貴を見た。


「後で、説明してもらうぞ」
「あぁ、後でな」


 そうして俺は、その場を後にした。




 それからの事は、俺も知らない―。

















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2012/2/26