第二夜






 それから、俺と兄貴は藍姫の教育係として三日ごとに仕えた。
 分担的には、俺はどちらかというと芸事、兄貴は完全に学問だ。まぁ、それが適材適所だろう。

 俺と兄貴、二人で掛かりきりになることもあれば、どちらかだけという日もあった。
 兄貴が藍姫とどう過ごしてるのかは知らないけど、俺が持ち回りのときは勤めてのんびりと過ごした。
 あまり根つめても、成果の上がらない日もある。たまには欠伸をしながら過ごしたって、俺はいいと思う、んだけど…。


「菖矢? もっと真面目に勉強しなくていいの?」


 姫も十五になれば、一端の口をきくようになる。


「いいの、いいの。たまには息抜きも必要なんだよ」


 例え姫でも、十年近く面倒を見てると、そんな言葉遣いになる。
 もちろん、冬新様を始め、深月家の皆様に知られるわけにはいけないけど。
 兄貴と姫、それから姫の乳母であるツタ。この三人だけには、俺のこの言葉遣いは許されてる。
 お転婆な藍姫に敬語を使うのを、馬鹿馬鹿しく思ったことがきっかけだった。



 姫が十になった頃、俺と兄貴と姫、三人で屋敷を抜け出したことがあった。
 姫がどうしても蛍が見たいと言って聞かなかったからだ。
 どうせ数日後には冬新様と巴様―姫の母上だ―の三人で見に出かける予定だったのに、どうしても俺達と行きたいと言って聞かなかった。
 俺は、割と簡単に折れてやった。
 最初はダメだと言っていた兄貴も、姫の懇願に負けて渋々許可してしまった。

 浮かれた姫は足取り軽く、蛍が居るという泉へと走った。

 危ないから一人で行くなという俺達の声も耳に入らないくらい楽しんでいたらしい。
 一匹の蛍が現れて、姫の瞳はそれに釘付けになった。
 姫はうっとりとその蛍を眺め、そして追いかけ始めた。

 俺達は心底ヤバイと思った。

 けれど、そう思ったときには既に遅かった。

 姫は、泉に落ちた。






「危ないと申し上げたではありませんか!」
「何やってんだよ!」


 三人してずぶ濡れになって、泉から這い上がった。
 そうして出てきた言葉がこれだ。

 先が兄貴で、後が俺。

 そう、この時俺は姫に敬語を使うことを放棄した。


 その後、冬新様やツタにこってりと絞られた。
 三人揃って、だ。
 もちろん、俺達が姫の言葉に逆らえないと分かっていながら頼んだ姫が一番叱られたのだが。

 それ以降、俺は人目のない所では、姫に敬語を使わなくなった。
 始めは兄貴に戻すように散々言われたけれど、俺は断固として譲らなかった。
 姫が敬語を使うに足るようなお姫様になったら使ってやる。
 そう言ってから今日に至る。


「少しは莢矢を見習ったら?」
「兄貴は兄貴、俺は俺なんだよ」

 くわっと欠伸をして外を眺める。

「ここの意味を教えて欲しいんだけど」
「自分で考える」

 背後ではぁ、と盛大な溜め息が聞こえた。
 それから姫は、俺の隣に腰を下ろして、俺と同じように外を眺め出した。

「本当に双子なの?」
「残念ながら」
「…別に残念なんて言ってないわ」
「じゃあ何?」
「莢矢も、ちょっとは菖矢みたいに融通がきけばいいのにと思って」

 どうやら姫は、真面目すぎる兄貴がご不満らしい。

「莢矢ってば、刻限が来るまでみっちり勉強するのよ」
「本当はそれが普通なんだよ」
「でも、私語も厳禁なの。つまらないわ」

 つまり姫は、もっと兄貴と話がしたいらしい。

「兄貴も驚くような速さで課題を終らせればいい」
「それでも時間まで先に進ませるの」
「…兄貴だなぁ」
「ほんのちょっとでも菖矢みたいに話してくれたら…」


 もっと近づけるのに?
 もっと、好きになるのに?



 そう、姫様は、我が兄莢矢にご執心なのだ。



 多分、きっと、もう、ずっと前から。


















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2012/1/15