俺じゃなかった事に、がっかりした事なんてなかった。
だって、俺が女でも、俺じゃなく兄貴を選ぶからだ。
言っておくけど、兄貴は本当に美形だ。
俺も同じ顔をしてるけど、ちょっとの差で兄貴の方がいい顔をしてる。
背丈も変わらないが、兄貴の方が鍛えていて頼りがいがある。
文武両道、真面目で人当たりがよく、面倒見もいい。
少しだけ頭が固いけど、それを差し引いてもいい男だ。
別に、自分を卑下してるわけじゃない。
俺は事実を言っているまでだ。
十も年下の娘の、しかも自分が仕える家の嫡女の心を奪ってしまうなんて、罪作りな男だと、可笑しくて笑ってしまった。
「何を笑っているんだ、お前」
竹刀を構えて、兄貴が呆れたように言った。
「いや、何でも」
「剣を合わせたら、目を逸らすな」
「悪い、少しばかり考え事だ」
俺は、構えを解いた。
何だか稽古をする気にならない。
「すぐに気が散じるのは、お前の欠点だぞ」
「分かってるって」
「どうだかな」
兄貴も竹刀を下ろし、庭の隅にある井戸に向かった。
俺もそれについて行く。
井戸から桶を引き上げると、そこに手拭を浸す。
兄貴は手拭を軽く絞ると、俺に投げて寄越した。
「お前ももう少し真面目ならな」
「耳タコだよ」
「今も芳幸たちと出歩いているらしいな」
「まぁ、同じ門下だし、気が合うんだ」
芳幸ってのは、昔からの俺たちの友人だ。
剣術も学問も、同じ師について学んでいた。
そんな仲間が何人かいて、たまに飲み歩く事がある。
兄貴ももちろん同じ門下で、皆仲間だ。
でも、付き合う友の顔ぶれは、門下の中でもまた別の奴らだった。
受け取った手拭で汗を拭う。
「父上が心配しておられた」
「俺を?」
「芳幸たちを、だ」
「成程」
その仲間の中で、独り身なのは俺だけだ。
皆、妻があり、中には子がいる者もいる。
そんな奴らを、俺が夜毎連れまわしていると思ってるんだろう。
「たまには、息抜きが必要かと思ってな」
苦笑いが漏れた。
そんな話をしていると、背後から忙しい足音が聞こえてきた。
「キャン、キャン!」
バタバタと走ってきたのは、俺達の愛犬だった。
「よう、右近、左近」
俺がしゃがみ込むと、じゃれるように飛びついてくる。
そのうち一匹が兄貴の足元にじゃれ付いた。
右近が兄貴の犬、左近が俺の犬だ。
この二匹も兄弟で、見た目はとても良く似ている。
それ程大きくはないが、柴犬混じりの凛々しい顔、短い茶色の毛並みをしている。
一通りじゃれた右近は、兄貴の足元で大人しくお座りをした。
一方の左近は、まだ俺の周りをうろうろしている。
これが、この犬の中身の違いだ。
かといって、左近が馬鹿なわけじゃない。
遊んでもいいとき、大人しくするとき、そういう事は弁えている。
…何となく、俺達と似ているから余計に愛情が増す。
撫でてやると目を細めて嬉しそうに懐いてきた。
この二匹は、姫に拾われた。
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2012/1/22