「そういえば、姫が右近と左近に会いたいと言っていたな…」
右近を撫でながら、兄貴が目を細めて言った。
「…」
「どうした、菖矢?」
「いや」
姫は、本当にこいつらに会いたいんだろう。
でも、それだけじゃない。
何か口実をつけて、兄貴に会いたいんだ。
教育係としての兄貴じゃなく、ただの吾妻莢矢に。
「兄貴…、姫が嘆いてたぞ」
「嘆く? 一体何を」
「兄貴ももっと融通が利けばいいのにって」
「何だ、それは」
目を丸くする兄貴が珍しくて、少しだけ可笑しかった。
「俺と比べるつもりはないんだろうけど、俺がこんなだから、兄貴とも色々話したいんじゃないのか」
「話す?」
「勉強見るだけが、教育係の仕事じゃないってことだ。俺はずっとそう思ってやってきたからな」
「…息抜き、というやつか」
さすが、兄貴。分かってらっしゃる。
「それは…難しいな」
哀しそうに笑う顔が、全てを物語っていた。
そう。
兄貴も、藍姫のことを、想っているのだ。
いつ気付いたとか、そういうことは問題じゃない。
だって、最初から兄貴は、全てを姫に捧げていたから。
もちろん、その心構えは俺も同じだった。
深月の姫に仕えるんだから、責任は重大。
俺達の誇りだ。
でも、兄貴は、その心も姫に捧げた。
最初から、今現在も、ずっと姫を愛している。
深く、強く。
兄貴がどう考えてるかは、俺には分からないけれど、姫を愛している事だけは伝わってくる。
いつか何処かの武家に嫁ぐときまで、もしかしたら婿をとるときまで。
何処に出しても恥ずかしくない立派な姫に育てる。
兄貴はその一心で、姫を愛し続けている。
そう。家臣である俺達には、それしか許されない。
だから兄貴は、姫と過ごす穏やかな時間というものを、恐れているんだと思う。
きっと兄貴は、姫が嫁ぐときになっても、笑って見送れる男だ―。
だから、秘めた想いが大きくなる事を、恐れている。
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2012/1/29