「姫は、お美しくなられたな…」
今年の正月だった。
二人で酒を酌み交わしていたとき、不意に兄貴がそう言った。
新年の諸々の行事が終って、漸く心身ともに緊張から解放されたときの一言。
これは、兄貴の本音だと、俺は思った。
新年を迎えて、藩主清隆様や方々の挨拶回りに同行するため、姫は振袖を着ていた。
姫は平素から高価なものを身に着けることを嫌って、町娘とまではいかないまでも、“姫”とは思えないほど質素なものを好んでいた。
だから、この時の振袖姿はかなりのもので、冬新様ですら驚き、娘の成長振りを喜んでいた。
それは、兄貴も例外ではなく。
俺が冗談で“馬子にも衣装だな”と冷やかしたのを、本気で怒っていた。
「もう…十五、だからな」
俺の言葉に、兄貴はどう反応するだろうか。
「十五、か」
その先の言葉を、飲み込んだのが分かった。
「もうすぐ、十年になるのか」
「まだまだ、敬語を使う気にはなれないけどな」
「菖矢…」
軽く睨まれた。
「俺が敬語を使わないまま、とうとうお嫁に行きました、なんてことも起こり得るかもな」
「菖矢」
今度は強く睨まれた。
敢えて兄貴が触れなかったことに触れた。
俺は、酷な人間なのかもしれない。
でも、俺が本当に二人の事を心配し始めたのは、この頃だった。
「十五といえば、もういつそんな話が来てもおかしくないだろ?」
「確かにな」
「なぁ、兄貴…」
自分でも驚くほど静かな声が出ていた。
そんな声に呼ばれた兄貴も、少しばかり驚いていた。
「“いいのか?”」
そんな俺の問いかけに、兄貴は微かに笑った。
「いいも何も、何処に出しても恥ずかしくない立派な姫に育てる、それが俺達の務めだろう?」
「あぁ。…でも、離れ難いだろ」
「それは、十年も仕えてきたからな」
「誰かの、妻になるんだぞ」
「当たり前だ」
淡々と答える兄貴に、正直腹が立った。
兄弟にも、その気持ちを打ち明けないのかと。
それほどまでに、俺は頼りないのか。
兄貴が、姫を想って苦しんでいることくらい、俺には分かる。
「なぁ、兄貴」
「さっきからどうしたんだ」
きっと俺は酷く情けない顔をしていたに違いない。
兄貴は、心配そうに俺を見た。
「…俺は、分かってるつもりだ」
敢えて、“何を”とは言わなかった。
兄貴は一瞬だけ戸惑った顔をした。
けれどすぐに、視線を落としてその手に持った杯を眺めた。
「…なら、それでいい」
兄貴は顔を上げると済まなそうに笑って、俺の肩に手を置いた。
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2012/2/5