第八夜






 もうすぐ夏が終わる。

 親父の使いで外に出ていた俺は、蜩が鳴く音でそれを実感した。
 海に近いこの土地は、海からの照り返しのせいか他よりも暑く感じる。

 まぁ、あまり他の土地を知らないから、比べようがないかもしれないけど、それでも、他所から来た奴らがそういうんだから、そうなんだろう。
 その夏も、もう終わる。

 敷居を跨いだ所で、兄貴と行き会った。
 庭の方から出てきた兄貴は、右近と左近を伴っていた。

「菖矢、ちょうどよかった」
「姫のところに行くのか?」
「そうだ。左近を借りるが、お前も来るか?」
「いや、これから親父に報告に行くんだ」
「そうか…、ならばそれが済んでからでも来たらいい」
「あぁ、そうする」

 この前言っていた事を思い出した。
 姫が、二匹に会いたいと言っていたということ。
 息抜きもした方がいいと言ったこと。

「これで姫も、満足するか…」

 思わず安堵の溜め息とともに声に出していた。

「…何か言ったか?」
「あ、いや…何も」

 不思議そうな顔をする兄貴に、笑顔を作って誤魔化した。

「じゃあ、行ってくる」
「あぁ。…まだ暑いからあまり石畳歩かせるなよ」
「分かってるよ」



 どっちに対して言ったのか、兄貴は分かってるだろうか。
 石畳は土に比べて照り返しが強い。
 犬は俺達より低い位置を歩いてるわけだから、俺達よりも暑いだろう。
 それはもちろんだ。
 けれど、俺が言ったのはそれだけじゃない。
 姫に対しても、だった。
 余り長いこと外に出して、まだ暑い中暑気当たりにでもなったら事だ。
 屋敷の庭なら石畳はないだろうが、万が一そんなところに居たら、折角の白い肌が焼けてしまう。
 そういう所にも、気を遣わないといけないのだ。
 多分、兄貴なら分かっていると思うけど…。

「いけない、報告だった」

 兄貴の心配をしていて、肝心な報告を忘れる所だった。





 報告が済むと俺は親父に捕まって、晩酌の相手をしなくてはいけなかった。
 折角、兄貴と姫がどんな感じか見届けてこようと思ったのに。
 空気の読めない親も居たもんだ。

 いや、二人きりの所に邪魔するほうが、空気が読めないのか。

「なんだ、菖矢。浮かない顔だな」
「そんなことはありませんよ。それより、話があるのでは?」
「うむ…。莢矢が戻ったらな。何処へ行っているんだ?」
「姫のところですよ、久しぶりに右近と左近を連れて」

 親父は、どんな話をするときも必ず俺達二人が揃ってから話をする。
 それが、親父なりの気遣いだ。
 この家の家督を継ぐのは、兄貴だから。
 だから、この家に関わる事なら、兄貴にまず話せば良いと、俺は思ってる。
 俺はその後だって構わない。

「これは、これまでのお前達の働きに関わる事だからな…」

 そう呟いた親父が、急に頼りなく見えた。





「莢矢にございます。ただ今戻りました」

 障子の外で兄貴の声がした。

「入れ」
「は」

 静かに障子を滑らせて、兄貴は部屋に入ってくる。
 姫のお気に入りの香が、一瞬漂った。

「先に一杯やっているぞ」
「はい。菖矢の酌は久しぶりですね」
「そうだな」
「悪かったな、いつも居なくて」
「分かってるじゃないか」

 俺は兄貴にお猪口を渡して、酒を注いだ。
 親父と酒を飲むのは、正直苦手だ。
 だから兄貴に任せて、俺は部屋に篭るか、友人を訪ねる。

「姫のところへ行っていたそうだな」
「はい」
「姫のご様子はどうだった?」
「相変わらず、元気でいらっしゃいます」

 兄貴は小さく笑うと、注がれた酒を何処か優しい眼差しで眺めた。
 姫を、想っているんだと、分かった。

「…そうか…相変わらずか…」

 親父の声色が、変わった気がした。

「父上?」

 すかさず兄貴が問いかけた。

「いや、な…」

 歯切れの悪い親父。
 やはり、何かある。

「実は」

 俺達の視線に居心地を悪そうにしながら、親父は言った。





「姫に、縁談があった」


















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2012/2/5