もうすぐ夏が終わる。
親父の使いで外に出ていた俺は、蜩が鳴く音でそれを実感した。
海に近いこの土地は、海からの照り返しのせいか他よりも暑く感じる。
まぁ、あまり他の土地を知らないから、比べようがないかもしれないけど、それでも、他所から来た奴らがそういうんだから、そうなんだろう。
その夏も、もう終わる。
敷居を跨いだ所で、兄貴と行き会った。
庭の方から出てきた兄貴は、右近と左近を伴っていた。
「菖矢、ちょうどよかった」
「姫のところに行くのか?」
「そうだ。左近を借りるが、お前も来るか?」
「いや、これから親父に報告に行くんだ」
「そうか…、ならばそれが済んでからでも来たらいい」
「あぁ、そうする」
この前言っていた事を思い出した。
姫が、二匹に会いたいと言っていたということ。
息抜きもした方がいいと言ったこと。
「これで姫も、満足するか…」
思わず安堵の溜め息とともに声に出していた。
「…何か言ったか?」
「あ、いや…何も」
不思議そうな顔をする兄貴に、笑顔を作って誤魔化した。
「じゃあ、行ってくる」
「あぁ。…まだ暑いからあまり石畳歩かせるなよ」
「分かってるよ」
どっちに対して言ったのか、兄貴は分かってるだろうか。
石畳は土に比べて照り返しが強い。
犬は俺達より低い位置を歩いてるわけだから、俺達よりも暑いだろう。
それはもちろんだ。
けれど、俺が言ったのはそれだけじゃない。
姫に対しても、だった。
余り長いこと外に出して、まだ暑い中暑気当たりにでもなったら事だ。
屋敷の庭なら石畳はないだろうが、万が一そんなところに居たら、折角の白い肌が焼けてしまう。
そういう所にも、気を遣わないといけないのだ。
多分、兄貴なら分かっていると思うけど…。
「いけない、報告だった」
兄貴の心配をしていて、肝心な報告を忘れる所だった。
報告が済むと俺は親父に捕まって、晩酌の相手をしなくてはいけなかった。
折角、兄貴と姫がどんな感じか見届けてこようと思ったのに。
空気の読めない親も居たもんだ。
いや、二人きりの所に邪魔するほうが、空気が読めないのか。
「なんだ、菖矢。浮かない顔だな」
「そんなことはありませんよ。それより、話があるのでは?」
「うむ…。莢矢が戻ったらな。何処へ行っているんだ?」
「姫のところですよ、久しぶりに右近と左近を連れて」
親父は、どんな話をするときも必ず俺達二人が揃ってから話をする。
それが、親父なりの気遣いだ。
この家の家督を継ぐのは、兄貴だから。
だから、この家に関わる事なら、兄貴にまず話せば良いと、俺は思ってる。
俺はその後だって構わない。
「これは、これまでのお前達の働きに関わる事だからな…」
そう呟いた親父が、急に頼りなく見えた。
「莢矢にございます。ただ今戻りました」
障子の外で兄貴の声がした。
「入れ」
「は」
静かに障子を滑らせて、兄貴は部屋に入ってくる。
姫のお気に入りの香が、一瞬漂った。
「先に一杯やっているぞ」
「はい。菖矢の酌は久しぶりですね」
「そうだな」
「悪かったな、いつも居なくて」
「分かってるじゃないか」
俺は兄貴にお猪口を渡して、酒を注いだ。
親父と酒を飲むのは、正直苦手だ。
だから兄貴に任せて、俺は部屋に篭るか、友人を訪ねる。
「姫のところへ行っていたそうだな」
「はい」
「姫のご様子はどうだった?」
「相変わらず、元気でいらっしゃいます」
兄貴は小さく笑うと、注がれた酒を何処か優しい眼差しで眺めた。
姫を、想っているんだと、分かった。
「…そうか…相変わらずか…」
親父の声色が、変わった気がした。
「父上?」
すかさず兄貴が問いかけた。
「いや、な…」
歯切れの悪い親父。
やはり、何かある。
「実は」
俺達の視線に居心地を悪そうにしながら、親父は言った。
「姫に、縁談があった」
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2012/2/5