暫く、何も考えられなかった。
頭の中が真っ白になって、持っていたお猪口を取り落としそうになった。
「…それは、めでたい話ではありませんか、父上」
いくらかの間を置いて、兄貴の声が聞こえた。
その声で、俺は我に返った。
何言ってるんだ。
めでたいって。
震えそうになる呼吸を抑えて、俺は兄貴を見た。
笑ってる。
哀しそうに。
「いや、めでたくなど…ない」
絞り出すように、親父が言った。
「どういう事です」
「縁談は、殿山家から来た話だ…。殿山の嫡男、耀介との縁談だ」
その言葉に、俺も、さすがの兄貴でさえも凍りついた。
「姫は…人質になるということですか…」
図らずも、俺と兄貴の声が重なった。
殿山十市郎。
ここ数年力を付けてきた藩士だ。
藩主である清隆様に忠実で、皆が嫌がる仕事を一手に引き受けてきた。
その信頼を得て、民の為の藩だ、とそれまで藩の要職についていた者たちを退けて、藩の改革を進めてきた。
藩政は改善されつつあり、清隆様もそれに満足している。
「飯田殿が、言っておられた事だが…」
親父は、険しい顔をしていた。
「我ら保守派の筆頭だった吉崎様を辞職に追い込んだのは、殿山殿らしい」
「吉崎様を!?」
「何処ぞの商家と結託して、金を横流ししていたと、あらぬ疑いをかけられてな。清隆様に知れる前に去れと、脅されたらしい」
「嵌められたのですか」
「…吉崎様は、自害してその潔白を証明しようとしたが…」
「家ごと潰された訳か…」
俺の容赦ない一言が、二人の癇に障ったらしい。
睨まれた。
本当の事だ。
半年ほど前、吉崎様は自ら屋敷に火を放ち、自害した。
けれど、それは殿山の調べによるものだった。
奉行所を牛耳ってしまえば、どうともなる。
そんなもの、誰も信じやしないと思ったけど、清隆様は信じてしまったわけだ。
そしてその息子が耀介。
父親の評判ばかり聞こえて、息子自身がどんな人物かは知らない。
けれど、父親が父親だけに、望み薄なのは確かだろう。
「何故、姫様なのですか…っ」
「今や、表立った保守派は冬新様と飯田様のみ。皆、殿山の脅しや強硬な姿勢に怯えているようだ」
「深月家の領地を見ろ。周りをぐるりと殿山派に取り囲まれておる」
「脅された…ということですか」
「冬新様は多くを語らなかったが、そういうことなんだろう」
吉崎様のようになりたくなければ、姫を差し出せと。
更には、姫を人質として、保守派である冬新様の動きを鈍らせようとしている。
「何て、卑怯な…」
俺も兄貴も、唇を噛んでいた。
「…冬新様は何と?」
「断ったら、大事になる。が、まずは姫のご意志を確認すると」
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2012/2/12